出光佐三(読み)いでみつさぞう

日本大百科全書(ニッポニカ) 「出光佐三」の意味・わかりやすい解説

出光佐三
いでみつさぞう
(1885―1981)

企業家。福岡県宗像(むなかた)郡に生まれる。神戸高等商業(神戸大学の前身)を卒業。酒井商会に約1年間勤務したのち、淡路島の資産家日田重太郎の資金援助によって1911年(明治44)福岡県門司(もじ)に石油販売店出光商会を開業した。出光興産(1940年設立)の前身である。第二次世界大戦後、海外事業を失った同社を率い、53年(昭和28)のイラン石油輸入にみられる斬新(ざんしん)な経営方針により業界に風雲を巻き起こす一方、同社を石油精製、石油化学部門に進出させた。株式非公開と銀行借入依存のユニークな経営方式、日本的和と人間尊重を基調とする経営理念唱道に努めた。仙厓(せんがい)禅師書画をはじめ美術品収集でも著名であり、東京に出光美術館を設立した。

[森川英正]

『出光佐三著『人間尊重五十年』(1962・春秋社)』

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「出光佐三」の意味・わかりやすい解説

出光佐三
いでみつさぞう

[生]1885.8.22. 福岡
[没]1981.3.7. 東京
実業家。 1909年神戸高等商業学校 (現神戸大学) 卒業後,神戸の貿易商に勤めたが,11年独立して門司に出光商会を開き,機械,石油の輸入と販売で成功,37年貴族院議員となる。 40年出光興産として改組設立,以来石油の精製販売で独自の発展をとげている。特に第2次世界大戦後の石油業界は各社とも国際石油資本と提携したのに対して,民族資本,民族経営を掲げ,また他社にさきがけて自社タンカーによる原油輸送を開始して,その後のタンカーのマンモス化競争のトップを切るなど,その経営方針は佐三の強力なリーダーシップによるものである。たくましい企業家精神と事業に対する闘志反面,人間尊重,家族主義および奉仕主義の経営で,産業界においてユニークな存在であった。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「出光佐三」の解説

出光佐三 いでみつ-さぞう

1885-1981 明治-昭和時代の実業家。
明治18年8月22日生まれ。44年門司で石油販売の出光商会を創立。昭和15年出光興産を設立し,社長。敗戦で海外資産をうしなうが,大型タンカーの建造,製油所の建設などをすすめ,原油の輸入から精製,販売まで一貫する民族系石油会社をきずきあげた。出光美術館を設立した。昭和56年3月7日死去。95歳。福岡県出身。神戸高商(現神戸大)卒。
【格言など】出光の仕事は金儲けにあらず,人間を作ること,経営の原点は「人間尊重」です

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世界大百科事典(旧版)内の出光佐三の言及

【出光興産[株]】より

…非上場。1911年(明治44)6月,出光佐三(1885‐1981)が門司に個人商店の出光商会を興し,石油販売業を開始したことに始まる。出光佐三が1代で築き上げた民族系最大手の石油会社(民族資本)として,また〈人間尊重の事業経営〉など特異な社風で知られる。…

※「出光佐三」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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