八王子神社(読み)はちおうじじんじや

日本歴史地名大系 「八王子神社」の解説

八王子神社
はちおうじじんじや

[現在地名]明智町 古町

明知鉄道明智駅より東へ三〇〇メートル、小高い森に鎮座する。祭神天忍穂耳命・天穂日命・天津彦根命・活津彦根命・熊野樟日命・田心姫・湍津姫。旧郷社。社伝によれば、天暦三年(九四九)勧請され、明知・高波たかなみ串原くしはら(現串原村)浅谷あざかい(現愛知県東加茂郡旭町)などに社領二〇〇石余を領していたという。天正二年(一五七四)甲州兵の兵火に焼かれ、旧記等を焼失縁起によれば、寛永一四年(一六三七)旗本遠山勘左衛門は、この社に祈って世嗣が生れたので社領五〇石(小杉村内)を寄進し、新殿を新しく作った。

八王子神社
はちおうじじんじや

[現在地名]須崎市神田 張城

通称張城はりぎの字下川内しもかわうちに鎮座。祭神は天忍穂耳命・天穂日命・天津日子根命・活津日子根命・熊野久須毘命・多紀理毘売命・狭依毘売命・伊岐都比売命のほか一二神。旧郷社。古くから神田こうだ村の鎮守社で、字寺山てらやまにあった福正寺が別当寺であった。天正一六年(一五八八)の津野神田郷地検帳に一反二八代の正月七日弓場祝田がみえる。

八王子神社
はちおうじじんじや

[現在地名]一色町味浜 上乾地

国道二四七号の東に鎮座。誉田別尊・天之忍穂耳命をはじめ九柱を祀る。天之忍穂耳命以下八柱の神は、八柱神社通称八王子神社として八幡社合殿であったが、明治四三年(一九一〇)合祀して社号を八幡社と改称したが、のち八王子神社と改名した。味浜あじはまの里が赤埴あかはにの里より分れたとき、表鬼門鎮護の神として養林ようりん寺二〇世藤原光房が斎き奉ったと伝える。

八王子神社
はちおうじじんじや

[現在地名]菟田野町大字平井

飛来ひらい(臨済宗大徳寺派)西方に鎮座。天忍穂耳命以下八神を祀り、八柱やはしら神社とも称する。旧村社。飛来寺の鎮守社とも考えられる。寛文一一年(一六七一)の棟札を有し、正保四年(一六四七)石灯籠がある。例祭には柿・トコロ(芋)・大根・ザクロ・餅・甘酒・ヤマノイモ・栗・白蒸の九種の神饌が供えられ、配饌の位置を書いた寛文四年の膳がある。

八王子神社
はちおうじじんじや

[現在地名]北川村野友 宮の前

奈半利なはり川南岸、野友のとも集落のほぼ中央に鎮座する。祭神は多紀理姫命など五男三女神と伝える。旧郷社。古くから野友村の産土神とされ、長宗我部氏の検地による西野友村地検帳には八王子宮床三代が記される。

八王子神社
はちおうじじんじや

[現在地名]瀬戸市共栄通

祭神は五男三女神に天照大神と素盞嗚尊を配祀する。旧村社。社伝では文明五年(一四七三)松原下総守源広長が神祠を造進し、摂社に熊野三所および天照大神を一祠に祀ると述べ、「徇行記」には「此社勧請ノ由来ハ不知。修造ハ文明五癸丑年、今村ノ城主下総守源広長為之。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

今日のキーワード

土砂災害

大雨や地震が誘因となって起こる土石流・地滑り・がけ崩れや、火山の噴火に伴って発生する溶岩流・火砕流・火山泥流などによって、人の生命や財産が脅かされる災害。...

土砂災害の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android