伝名和氏屋敷跡(読み)でんなわしやしきあと

日本歴史地名大系 「伝名和氏屋敷跡」の解説

伝名和氏屋敷跡
でんなわしやしきあと

[現在地名]名和町名和

長者原ちようじやばら南方てらまえに位置。北東長綱ちようこう寺がある。天保六年(一八三五)鳥取藩主池田斉訓のときに建立された名和神君碑が建つ辺りが屋敷跡の中心と考えられている。宝永七年(一七一〇)の汗入郡万覚帳(名和町誌)に名和又太郎屋敷として反別二反七畝九歩、高二石一斗六升五合、四方門で、屋敷より御来屋みくりやまで一三町とあり、屋敷の外側には堀が、東側には土塁が築かれていたとみられる。

名和長年(初名長高)およびその一族については確実な史料が乏しく、その実態は明らかでない。「伯耆之巻」や続群書類従本「名和系図」は村上天皇の流れをくむとするが不詳。後醍醐天皇が隠岐島を脱出して、伯耆国の住人名和長年を頼ったのは、元弘三年(一三三三)閏二月二四日とされる(皇年代略記)。名和長年は「其身指テ名有ル武士ニテハ候ハネ共、家富一族広シテ、心ガサアル者」で(「太平記」巻七先帝船上臨幸事)、一族が多く経済力もあり思慮深い武士であったという。「梅松論」には奈和なわ庄に「奈和又太郎と申福裕の仁候。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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