伏見九郷(読み)ふしみきゆうごう

日本歴史地名大系 「伏見九郷」の解説

伏見九郷
ふしみきゆうごう

伏見庄域に存在したとされる郷村の通称。一五世紀半ば頃までに成立したとされる伏見山近廻地図(宮内庁書陵部蔵)に「山村舟津村久米村・法安寺村・即成就院村・石井村森村北尾村・北内村」の九ヵ村の名が記されるが、「看聞御記」など室町期の史料で存在が確認できるのは一部村名が異なるが、「三木村・舟津村・山村・森村・石井村・野中村」の六ヵ村である。

これらの村には、例えば三木そうぎ村を根拠とし御香宮ごこうぐう(現御香宮神社)神主職をも有した三木氏、伏見庄の政所職にあった小川氏をはじめ、内本・下野・岡・芝氏などの地侍が、それぞれ伏見庄の預所・下司・公文といった荘官職を兼ねて蟠居した(看聞御記)。彼らの活動の本拠がいわゆる「伏見九郷」であった。

伏見九郷の各村のおおよその位置と性格は、右の古絵図と「伏見鑑」によって、ほぼ以下のように推定できる。

やま村は六地蔵清水谷ろくじぞうしみずだに辺りにあった交通集落で、山科やましな宇治への街道筋に面していた。船津ふなつ(船戸村とも)は港湾集落で、現在のかき木浜きはま町一帯辺りにあたる。久米くめ村は、金札きんさつ宮の所在する現鷹匠たかじよう町から白菊井しらぎくい跡の濠川ほりかわ辺りにあった集落で、御香宮を中心とする石井いしい村とともに、伏見九郷の中心的村落。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

世界大百科事典(旧版)内の伏見九郷の言及

【伏見】より

…一時,足利義満による伏見荘没収ということもあったが,また返還され,以後秀吉の伏見築城まで,栄仁親王―治仁王―貞成(さだふさ)親王と伝えられ,貞成の《看聞日記》によって,伏見荘の室町時代初期の姿が生き生きと伝えられることになった。 伏見荘は〈伏見九郷〉と称される9村で構成されていた。久米村(鷹匠町,金札宮付近),舟戸(津)村(淀川に面した柿ノ木浜付近),森村(桃陵町付近),石井村(御香宮門前付近),即成院村(桃山町泰長老付近),法安寺村(深草大亀谷五郎太町付近),北内村(深草大亀谷付近),山村(谷口――旧伏見城域内の広庭),北尾村(深草大亀谷敦賀町付近)である。…

※「伏見九郷」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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