三木(読み)さんぼく

精選版 日本国語大辞典 「三木」の意味・読み・例文・類語

さん‐ぼく【三木】

〘名〙
① 鳥居を構成する三本の横木。
※神道集(1358頃)一「鳥居には二柱三木之有〈略〉三木とは、笠木、貫木、嶋木とて三木有。此即戒定恵の三木と云なり」
古今伝授(こきんでんじゅ)の中の三種の木。普通、「をがたまの木」「めどにけづり花」「かはな草」をいうが、諸説があって一定しない。「をがたまの木」「さがりごけ」「かはな草」とも、「相生(あいおい)の松」「めどにけづり花」「をがたまの木」とも、また、「をがたまの木」「とし木」「めど木」ともいう。
※詠太神宮二所神祇百首和歌(1468頃)「御賀玉の樹のこと。古今集には榊のことには有らず、別の木を云ふか。三木の一也」
③ 華道で、いっしょに生けることをきらう松・杉・椿の三種の木。また、草物(くさもの)は除き、木だけを三種用いること。立花では、松・伊吹・檜をいう。〔仙伝抄(1445)〕
④ 罪人の首と手と足とにはめる木製のかせ。〔漢書‐司馬遷伝〕
[語誌](②について) 「古今和歌集」中の三つの木花草として「三鳥」とともに特定され、「三木三鳥」とも称されて、室町時代の秘伝教説の代表とされていた。何を三木とするかについては、流派ごとに異同がある。

みき【三木】

[一] 兵庫県南中部の地名。播磨平野の東部、加古川の支流美嚢(みのう)川の流域にある。江戸時代から、のこぎり・のみ・かんななどの大工道具を主とする金物の家内工業で知られる。昭和二九年(一九五四)市制。
[二] 香川県の東部にあった郡。古くは御木・美貴とも書いた。明治三二年(一八九九山田郡と合併して木田郡となる。〔二十巻本和名抄(934頃)〕

さん‐ぎ【三木】

〘名〙 新潟県岩手県などで、死者を埋葬した土の上に木、竹を三本くくり合わせて下をひろげて立てたものをいう。かまくわ小石などをその中心につり下げる。

みき【三木】

姓氏の一つ。

出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報

デジタル大辞泉 「三木」の意味・読み・例文・類語

みき【三木】[姓氏]

姓氏の一。
[補説]「三木」姓の人物
三木清みききよし
三木卓みきたく
三木武夫みきたけお
三木竹二みきたけじ
三木武吉みきぶきち
三木露風みきろふう

さん‐ぼく【三木】

古今伝授の中の3種の木。ふつう「おがたまの木」「めどにけずりばな」「かわなぐさ」をいうが、諸説あって一定しない。→三鳥
罪人の手・足・首にはめる木製の刑具。
生け花で、草物くさものは除き、木だけを3種使うこと。

みき【三木】[地名]

兵庫県南部の市。室町時代には別所氏城下町。江戸時代から金物業が発達し、大工道具・園芸用具などの製造が盛ん。平成17年(2005)10月吉川町を編入。人口8.1万(2010)。

出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例

改訂新版 世界大百科事典 「三木」の意味・わかりやすい解説

三木[市] (みき)

兵庫県南部,神戸市北部に隣接する市。2005年10月旧三木市が吉川(よかわ)町を編入して成立した。人口8万1009(2010)。

三木市南西部の旧市。1954年市制。人口7万6682(2000)。市域の大半は丘陵,台地と,加古川の支流美囊(みのう)川がこれらを浸食した樹枝状の河谷からなる。中世末期に別所氏が城を築いて以後城下町として栄えたが,1580年(天正8)豊臣秀吉による包囲ののち落城した。江戸時代に大工道具を中心とする金物業が発達,〈三木金物〉の名で全国に知られた。現在ものこぎり,かんな,のみなどの日本有数の産地であるが,零細業者が多く生産は頭打ちである。しかし神戸に近いため住宅都市化が進み,市域の南半分は神戸市のベッドタウンとなっている。神戸電鉄(1931開通)で神戸市内と結ばれているが,道路は明石市に向かう国道175号線が多く利用されている。近年は,山陽自動車道,本四連絡道(山陽自動車道木見支線)など高速道路が市内を縦横に貫き,交通上の要衝となった。名門ゴルフ場として知られる広野ゴルフ場や大規模保養地〈グリーンピア三木〉などがある。
執筆者:

美囊郡は古く〈みなぎのこおり〉と訓じ,中世には三木と書いて〈みなぎ〉と読ませたが,近世に〈みき〉と転じた。戦国時代末期には別所長治が三木城によって東播8郡に覇を唱えた。織田信長に反抗した長治は1578年羽柴(豊臣)秀吉の包囲攻撃に対し20ヵ月間籠城したが糧食が尽きて長治は自刃,士卒の助命を乞うて開城した。秀吉は地子免許を発令して住民を還住させ町場の振興をはかった。太閤検地には町を称し地子免許も確認された。1678年(延宝6)の検地には町惣代2名が江戸に下って直訴,秀吉制札を示して地子免許の特典を持続することができた。その後,地子免許の三木町に木挽や大工職人が定住するようになり,1738年(元文3)三木町で前引鋸(大鋸(おおが))の販売が始まったといわれるが,すでにのこぎりやかんななどの大工道具鍛冶屋が出現したらしい。83年(天明3)には金物仲買問屋が成立,1803年(享和3)には江戸積問屋3軒が選ばれ江戸市場に直結した。鍛冶職は中国地方の製鉄を得て播磨各地で発達したが,大工道具鍛冶は三木町に集結,仲買問屋が発展して特産〈三木金物〉の名があがった。
執筆者:

三木市北東部の旧町。旧美囊郡所属。人口9435(2000)。南は神戸市に接する。加古川の支流美囊川が南西流し,第三紀の丘陵が周囲を囲む。《播磨国風土記》に美囊郡四里の一つとして吉川里の名が出ている。農業が主産業で,特に灘五郷の酒造米〈山田錦〉の産地として知られ,ピーマン,トマトなどの野菜の生産も盛んである。1974年に中国自動車道の吉川インターチェンジが開設され,ゴルフ場などのレジャー施設が増加した。また舞鶴若狭自動車道の分岐点にもなっている。いずれも室町期の建築である天津神社本殿,東光寺本堂,歓喜院聖天堂が国の重要文化財に指定されている。
執筆者:

三木[町] (みき)

香川県中部,木田郡の町。人口2万8464(2010)。西は高松市に,南は讃岐山脈を境に徳島県に接する。北半部は讃岐平野東部を占め,新川が北流する。高松琴平電鉄長尾線と県道(長尾街道)沿いに古くからの地方中心であった池戸,平木の市街地が形成されている。近年,高松市近郊の町としてベッドタウン化が進み,香川大学農学部,香川医科大学(現,香川大学医学部)とその付属病院もある。米作を中心にタバコ,野菜,果樹の栽培が盛んであるが,兼業化が進んでいる。木製品,手袋などの製造も行われる。高松自動車道のインターチェンジがある。
執筆者:

出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内の三木の言及

【参議】より

…令外官の一つ。三木とも書き,宰相,相公,八座(はちざ),やくらのつかさともいう。参議の呼称は〈朝政に参議する〉に由来する。…

※「三木」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

今日のキーワード

靡き

1 なびくこと。なびくぐあい。2 指物さしものの一。さおの先端を細く作って風にしなうようにしたもの。...

靡きの用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android