舟津村(読み)ふなつむら

日本歴史地名大系 「舟津村」の解説

舟津村
ふなつむら

[現在地名]郡山市湖南町舟津こなんまちふなつ

たて村の南西、猪苗代湖南岸に流入する舟津川河口に立地。船津とも記す。近世中通りからの商荷・旅客は当地の浜(湖南七浜の一)から篠山ささやま(現会津若松市)へ湖上通運された(「猪苗代湖通船定書」福島県史)。永享一一年(一四三九)頃のものと推定される安積三郷田地注文(相殿八幡文書)中郷のうちとして「舟津 十丁」とみえる。大永三年(一五二三)四月二三日の金上盛貞等連署証状(松藩捜古)に「ふなつくらの境之事」とみえ、横沢よこさわ中地なかじ間の境相論の地であった。

舟津村
ふなつむら

[現在地名]小牧市舟津

北は三淵みつぶち村・西之島にしのしま村などと接している。文和二年(一三五三)の尾張国在庁私領国領注進状案(醍醐寺文書)に「船津一反半 伊奈波(播)广後家」とある。舟津という地名について「徇行記」に「昔時小牧ニ織田信長在城ノ比、村東ノ方ニ堀江アリテ船多ク運漕シ、此村ヘ着岸セシ故、其名目アル由来ヲイヒ伝ヘシ」とある。弘化二年(一八四五)の村絵図(徳川林政史蔵)をみると、東島ひがしじま本郷ほんごう蓮華寺れんげじの三つの集落が東西に並び、巾下はばした川・さかい川が南北に流れている。

小牧村と接する巾上はばうえは段丘上にあり、巾上の南の字惣堀そうぼりには縄文時代の惣堀遺跡があり(現在は壊滅)、字一色いしきにあった古墳からは土器が出土した(小牧町史)

舟津村
ふなづむら

[現在地名]小松市北浅井町きたあさいまち

木場きば潟北岸の船着場で、北は北浅井村、南は南浅井村。慶長五年(一六〇〇)の浅井畷合戦のおり、小松城主丹羽長重の武将江口三郎右衛門がこの地で前田軍の進軍状況を偵察している(小松市史)。寛文一〇年(一六七〇)の村御印では高一二三石、免四ツ五分(三箇国高物成帳)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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