中島郷(読み)なかじまごう

日本歴史地名大系 「中島郷」の解説

中島郷
なかじまごう

西を大場だいば川、東を御殿ごてん川に挟まれる現中島付近に比定される中世の郷。応安三年(一三七〇)九月二日の畠山国熙寄進状(北条寺文書)に「中嶋郷」とみえ、国熙は自らが拝領した当郷地頭職半分を天下安全の祈祷のためと、亡き西蓮(畠山家国)・道誓(同国清)菩提を弔うため吉祥きつしよう(現伊豆長岡町)に寄進している。翌四年同寺はこの寄進状を紛失したため、七月二日幕府より安堵を受けている(「管領細川頼之奉書案」同文書)。永禄二年(一五五九)頃には、大珠寺分一貫五〇〇文が当地に伏せられており、また小机衆の畊月斎の所領五五貫二〇八文が当地に伏せられていた(北条氏所領役帳)

中島郷
なかしまごう

和名抄」高山寺本に「中島」と記し、「奈加之万」と訓じ、流布本には「奈加之末」と訓をあてているので「なかしま」と称していたことは疑いない。「信濃地名考」に「中島・奈加之末方廃、村存」とあり、「日本地理志料」は、「牟礼黒川小玉・中宿・稲付・芹沢石橋・原・(宮)腰・辻屋・落影・古間・大古間」の諸邑をその地域とする。これによれば、現在の上水内かみみのち牟礼むれ村・三水さみず村・信濃しなの町南部一帯すなわち、上水内郡北部鳥居とりい川沿いの地域となる。また「上水内郡誌」は、大島おおしま郷と同様に、もと千曲川の左岸にあったが、流路の変動によって、右岸すなわち高井郡に移ったものであろうと推定しているが、その所在範囲は未定とすべきであろう。

中島郷
なかしまごう

「和名抄」高山寺本・元和古活字本にみえ、東急本は「中嶋」と記し、いずれも訓を欠く。東急本・元和古活字本の郡部の訓には、それぞれ「奈加之万」「奈加之萬」の訓があり、当郷も「なかしま」と称していたと考えられる。藤原宮出土木簡には「海評中□里支止軍布」と記すものがある。「和名抄」で、海部郡下に「中」の頭字をもつ郷は尾張国海部郡中島郷のみで、同時に出土した他の木簡にも尾張国のものが多く、この木簡は当中島郷からのものである蓋然性が高い。

中島郷
なかじまごう

「和名抄」高山寺本・東急本ともに訓を欠く。「日本地理志料」は名の由来を相模川の洲にあることによるとする。天平七年(七三五)閏一一月一〇日の相模国封戸租交易帳(正倉院文書)に、右大臣藤原武智麻呂の食封として仲嶋郷五〇戸、田二一六町七反三四二歩とみえる。

中島郷
なかしまごう

「和名抄」高山寺本・東急本に「中嶋」、刊本に「中島」と記され、いずれも訓を欠く。「新編常陸国誌」に「按ズルニ、興谷村ニ中島ト云ヘル小地名アリ、即古ノ中島郷ナリ」とあり、現鹿島郡神栖かみす奥野谷おくのやに比定する。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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