下野国府跡(読み)しもつけこくふあと

日本歴史地名大系 「下野国府跡」の解説

下野国府跡
しもつけこくふあと

[現在地名]栃木市田村町など

おもい右岸にある古代の役所跡。対岸下都賀しもつが国分寺こくぶんじ町には下野国分寺跡下野国分尼寺跡がある。当地大房地だいぼうち遺構を確認された下野国庁跡は国指定史跡。下野国府は「和名抄」国郡部に「国府在都賀郡、行程上卅四日、下十七日」とあり、旧都賀郡に属した国府こう地区付近にあったとする見方に異論はなかったが、具体的な推定地となると以下の四説があった。田村たむら町の古国府ふるこう地区説、その北西大宮おおみや地区説、国府町勝光しようこう寺地区説、古国府からは北にあたる惣社そうじや地区説で、瓦の出土、方格状の地割の確認などのほか、国府をめぐる直接的・間接的な関連地名が各説の一根拠になっている。

昭和五一年(一九七六)より発掘調査が進められ、同五四年ようやく古国府地区にあたる大房地の宮目みやのめ神社(宮野辺・宮延とも)周辺に国府の中心官衙である国庁跡(政庁域)検出された。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ) 「下野国府跡」の意味・わかりやすい解説

下野国府跡
しもつけこくふあと

栃木市田村町の思川(おもいがわ)右岸に所在する古代の役所跡。周辺には惣社(そうじゃ)、古国府(ふるこう)、大宮、印役(いんやく)などの地名があり、広く複数の想定地説があった。1976年(昭和51)から発掘が続けられた結果、田村町の宮目(みやのめ)神社の所に政庁跡が検出された。政庁は1辺約90メートルの塀(築地(ついじ))によって方形に画され、中心に前殿(ぜんでん)、その北側に正殿(未発掘)を南面させ、その東・西に長大な南北棟の脇殿(わきでん)を対峙(たいじ)させている。南辺の中央には南門を開き、そこから南へ側溝を伴う幅9メートルの大路が延びている。中央大路の西側には掘立て柱塀で囲まれる大規模な官衙(かんが)域も検出されている。政庁は4期の変遷があり、出土する木簡(もっかん)などから、1期は天平(てんぴょう)元年(729)ごろには機能しており、2期の建物は延暦(えんりゃく)10年(791)前後に焼失していることが知れる。3期は礎石建物となる。このほか、地割を示す溝や道路も確認される。また削り屑(くず)も含め多数の木簡や漆紙(うるしがみ)文書も出土している。

[大金宣亮]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

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