上石村(読み)あげしむら

日本歴史地名大系 「上石村」の解説

上石村
あげしむら

[現在地名]日高町上石

池上いけがみ村の北、円山まるやま川支流八代やしろ川の両岸に位置する。北側山頂には水生みずのお城跡がある。江戸時代の領主変遷は天保七年(一八三六)まで宵田よいだ村に同じ。同年幕府領となり(「御用部屋日記」など)幕末に至る。ただし明和八年(一七七一)に「気多郡内十四ケ村組合」が久美浜代官所(現京都府久美浜町)に提出した年貢銀納についての口上書(垣谷家文書)の一四ヵ村のなかに「上石西組」の名がみえ、これら一四ヵ村は享保一一年(一七二六)まで「六拾年来豊岡御領分」で、翌年から幕府領(久美浜代官所支配)となったとある。

上石村
かみいしむら

[現在地名]豊平町上石

下石村の西にあり、北東流する志路原しじわら川の河岸段丘上に集落が開ける。北東は海応寺かいおうじ、南は西宗にしむね南西中原なかばら、西は志路原の諸村に接する。

元和五年(一六一九)の安芸国知行帳では高は一六〇・七三石で、その後変更はない。明知・給知入交じりの村で、宝暦一二年(一七六二)より定免六・八九に決まる(国郡志下調書出帳)。農業を主とする村で、村中入会野山三、百姓腰林七、用水井手八、雨池二があり、「郷中川二筋、井手懸凡八歩方、谷水雨池等之用水を受候凡二歩方、格別旱損之憂無御座候、肥草等不自由之村方ニ御座候」とみえる(同書出帳)

上石村
あげいしむら

[現在地名]郡山市中田町上石なかたまちあげいし

高倉たかくら村の東、阿武隈高地西側の峡谷立地。永禄一一年(一五六八)七月吉日の熊野山新宮年貢帳(青山文書)に「三段 二百文 あけいし」とみえ、天正一四年(一五八六)一〇月一三日の熊野山新宮年貢帳(同文書)にも「三段 二百文 上石」とある。慶長一八年(一六一三)一〇月二六日の大平信栄預ケ状(同文書)に「上石」とみえ、当村ほか一六ヵ村の紀州熊野参詣旦那職を吉田よしだ不動院に預け置いている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報