山県郡(読み)やまがたぐん

日本歴史地名大系 「山県郡」の解説

山県郡
やまがたぐん

面積:九八五・六九平方キロ
千代田ちよだ町・大朝おおあさ町・豊平とよひら町・芸北げいほく町・戸河内とごうち町・筒賀つつが村・加計かけ

広島県の西北部、中国山地の真っただ中に位置する。東は高田郡、南は広島市・佐伯郡、西・北は恐羅漢おそらかん(一三四六・四メートル)大佐おおさ(一〇六九メートル)阿佐あさ(一二一八・二メートル)など一〇〇〇メートル以上の連山を境に島根県美濃みの那賀なか邑智おうち三郡に接する。郡内の地形は、山陰・山陽の分水界によって大きく東西に分れる。日本海へ注ぐごうの川水系に属する東部(口筋)は、脊梁山地に囲まれた沖積平野からなり、大朝・八重やえ盆地を中心とする。瀬戸内海へ注ぐ太田おおた川水系に属する西部地域は、V字谷と狭い谷底平野、河岸段丘で構成される南部(太田筋)、高位平坦面と冷涼な気候の北部(奥山筋)、中位平坦面の広がる中部(中筋)に三分される。

〔原始・古代〕

先土器時代の遺跡が可愛えの川上流の沖積平野、大朝町新庄しんじよう西宮にしみやしように存在することが確認された。縄文遺跡には、早期の戸河内上殿かみとの遺跡や、大朝町南宮みなみみやしよう遺跡・地宗寺じそうじ遺跡・洞泉寺とうせんじ遺跡など、また、前期・後期に属するものは郡内の各地に広がっている。弥生遺跡はさらに増え、土器・石器ともに多様となり、住居跡や炉跡なども発見された。古墳は各地に築かれたが、とくに東部に集中。いずれも円墳で、竪穴式石室横穴式石室がみられる。千代田町有田ありだじようたにから出土した箱式石棺は前期古墳に属するとみられ、後期には同町古保利こほり古墳群・同町蔵迫くらざこ古墳群・大朝町七塚原ななつかばら古墳群・同町中隴なかうね古墳群などが集中してみられるようになり、地方有力者の存在が知られる。

郡名は「和名抄」に「夜万加多」と訓ずる。山県とは山地の意と考えられる。「和名抄」記載の郷は賀茂かも壬生みぶ・山県・品治ほむち宇岐うきの五郷がある。うち壬生郷は現千代田町壬生付近、品治郷は同町本地ほんじ付近、賀茂郷は現豊平町都志見つしみまたは千代田町丁保余原ようろほよばら付近、山県郷は現千代田町有田付近と推定されるが、宇岐郷は、ウキの音を伝える地名はなく、現大朝町新庄または豊平町吉木よしき付近との両説がある。郡衙の所在は山県郡に比定される。「延喜式」と関係した諸国神名帳の一部と思われる「安芸国神名帳」は、山方やまがた郡に二位大麻明神・四位麻城明神・同一本栗明神・五位物部明神の四前を記す。うち大麻明神は「三代実録」貞観元年(八五九)三月二六日条にみえる「安芸国正六位上大麻天神」で、その所在を大朝町大朝に比定できるほかは不明である。千代田町古保利薬師堂の一二体の仏像群(国指定重要文化財)は、平安初期の建立とされる福光ふくこう(現廃寺)という大寺院に安置されたものという。

山県郡
やまがたぐん

面積:二二一・七八平方キロ
高富たかとみ町・伊自良いじら村・美山みやま

県の南半部中央よりやや西に偏して位置する。北限には白山山脈に連なる日永ひなが(一二一五・七メートル)があり、南にいくにしたがってしだいに平地となり、濃尾平野に達する。北部に源を発する神崎かんざき川と葛原くずはら川が美山町谷合たにあいで合流して武儀むぎ川となり、武芸むげ谷を形成する。南部には伊自良川鳥羽とば川が南流し、北部に比べてやや広い平地となる。

〔原始〕

美山町谷合にある九合くごう洞窟遺跡は、武儀川右岸に流入する峡谷に南面する石灰岩洞窟で、縄文時代草創期から弥生時代までの遺物が多量に出土する。土器や石器も豊富で、線刻石製品、銅鏃、骨角器も発見されている。古墳は古代の美濃県をさすかと考えられる旧山県郡・方県かたがた郡を含む岐北古墳群中に位置付けられるが、規模のうえからも遺物のうえからも格別注目されるものはない。「岐阜県遺跡地図」には高富町の大桑おおが川流域に四五、伊自良川流域に一〇、美山町に一の古墳を登載し、「伊自良誌」は伊自良村に消滅したものを含め一六の古墳があると記している。高富町の金池かないけ古墳は全長三〇メートルほどの前方後円墳と伝えるが、ほかはすべて円墳で、横穴式石室の後期古墳と推定されている。

〔古代〕

大宝二年(七〇二)一一月の戸籍(正倉院文書)に「御野国山方郡三井田里」とあり、「三井田里」は現岐阜市三田洞みたほらから高富町付近とされる。承和一〇年(八四三)一月二七日山県郡少領の均田勝浄長らが中臣美濃連姓を賜り(続日本後紀)、貞観六年(八六四)五月九日には大和法隆寺の僧承忍が勅によって還俗し、中臣美乃連の姓に復して郡の少領に任ぜられた(三代実録)

「和名抄」は「夜末加太」と訓じ、出石いずし郷・大桑おおくわ郷・三田みた郷・片野かたの郷・大竹おおたけ郷、余戸あまるべ(高山寺本には不載)を載せる(諸本ともに訓注を欠く)。大桑郷は現高富町大桑おおが、三田郷は大宝二年の戸籍にある三井田里にあたると推定される。「延喜式」式内社は山県郡に一社もない。美濃国神名帳には正二位美和明神・従三位甘南備かんなび明神・正四位下裁主明神・正四位下大歳おおとし明神・正四位下橋尾明神・正四位下郡大歳明神・正六位上長谷部明神・正六位上国主明神・正六位上久志明神・正六位上須岐明神・正六位上高木たかき明神・正六位上早門明神を載せる。このうち、美和明神は現岐阜市三輪みわの三輪神社に、甘南備明神は伊自良村長滝ながたきの甘南備神社に、大歳明神は美山町葛原の大歳神社に、国主明神は伊自良村平井の県ひらいのあがた神社に、高木明神は高富町高木の高木神社に、早門明神は同町西深瀬の隼人にしふかせのはやと神社に比定されるが、ほかの座地は未詳。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

今日のキーワード

焦土作戦

敵対的買収に対する防衛策のひとつ。買収対象となった企業が、重要な資産や事業部門を手放し、買収者にとっての成果を事前に減じ、魅力を失わせる方法である。侵入してきた外敵に武器や食料を与えないように、事前に...

焦土作戦の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android