上原熊次郎(読み)うえはら・くまじろう

朝日日本歴史人物事典 「上原熊次郎」の解説

上原熊次郎

生年生没年不詳
江戸時代の著名なアイヌ語通辞。最上徳内に見いだされる。寛政4(1792)年,天地,人物,草木など11項目に分類した日蝦夷語彙『もしほ草』(『蝦夷方言藻汐草』)を編み,文政7(1824)年には『蝦夷地名解』を作る。文化8(1811)年,ゴローニン松前幽閉する際,通辞を務めるかたわら村上貞助とロシア語を習得する。ロシア語の習得には苦労したようで,ゴローニンは熊次郎を「世界中の如何なる文法をも解していない」(『日本幽囚記』)と評している。一方アイヌ語に関しては「アイヌ語学の鼻祖」とアイヌ語学者金田一京助に高く評価されている。<著作>『藻汐草』(『アイヌ語資料叢書』)<参考文献>金田一京助『アイヌの研究

(麓慎一)

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「上原熊次郎」の解説

上原熊次郎 うえはら-くまじろう

?-? 江戸時代後期の通詞
クスリ(釧路),アブタ(虻田)などの場所請負人の蝦夷語(えぞご)通詞をへて,文化4年(1807)幕府松前奉行所役人となる。ゴローブニン事件のときロシア語の通詞をつとめた。寛政4年(1792)世界最初のアイヌ語辞書「蝦夷方言藻汐草」を刊行した。蝦夷地(北海道)出身。名は有次。著作ほかに「蝦夷語集」。

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世界大百科事典(旧版)内の上原熊次郎の言及

【アイヌ語】より

…やや本格的なものとしては《もしほ草》(1792成立,1804刊)が最初で,語彙数約4000。編者の上原熊次郎は松前奉行所の蝦夷通詞で,1811‐13年のゴロブニン抑留事件の際には,ロシア語の通訳をも務めた人物であった。同書は《蝦夷方言藻汐草(もしおぐさ)》の名でも知られ,のち上原の手で増補されて《蝦夷語集》(稿本,1824ころ成立)として伝えられている。…

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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」