金田一京助(読み)キンダイチキョウスケ

デジタル大辞泉 「金田一京助」の意味・読み・例文・類語

きんだいち‐きょうすけ〔‐キヤウすけ〕【金田一京助】

[1882~1971]言語学者・国語学者。岩手の生まれ。春彦の父。東大・国学院大教授。ユーカラおよびアイヌ語研究の基礎を築いた。文化勲章受章。著「アイヌ叙事詩ユーカラの研究」「アイヌ叙事詩ユーカラ集」「国語音韻論」など。

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精選版 日本国語大辞典 「金田一京助」の意味・読み・例文・類語

きんだいち‐きょうすけ【金田一京助】

言語学者、国語学者。文学博士盛岡市出身。東京帝大言語学科卒。東大教授、国学院大学教授を歴任。昭和七年(一九三二)に「アイヌ叙事詩ユーカラの研究」によって学士院恩賜賞を受ける。学士院会員、国語審議会委員。昭和二九年文化勲章受章。アイヌ語研究の第一人者。著「アイヌの研究」「国語音韻論」など。明治一五~昭和四六年(一八八二‐一九七一

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「金田一京助」の意味・わかりやすい解説

金田一京助
きんだいちきょうすけ
(1882―1971)

言語学者。アイヌ文学研究、アイヌ語学の創設者。明治15年5月5日岩手県盛岡に生まれる。東京帝国大学文学部言語学科に学ぶ。明治末年は日本言語学の黎明(れいめい)時代で、当時指導者であった上田万年(うえだかずとし)は日本語研究のためにも周辺の諸言語の研究が必要であることを提唱、そのときアイヌ語の研究を指定されたのが金田一であった。欧米文化万能の時代に、旧弊として捨てて顧みられなかったアイヌ語の研究をライフワークとして選び、彼の研究で、初めてアイヌ叙事詩ユーカラが世に紹介され、アイヌ語が学問的に解明された。『アイヌ叙事詩ユーカラの研究』2巻(1931。学士院恩賜賞受賞)、『アイヌ叙事詩 ユーカラ集』(1959~1975)をはじめとするユーカラやアイヌ語文法に関する数々の著書は、日本列島の北方の文化を学ぶ者の原点として永久に残る。

 1935年(昭和10)ごろからは国語学の研究にも関心が及び、『辞海』『明解国語辞典』『新選国語辞典』など諸辞典の編纂(へんさん)や『中等国語』『高等国語』などの教科書の編修も広く行った。また、同郷歌人石川啄木(いしかわたくぼく)と深い交友関係にあり、『石川啄木』(1951)の著がある。東大・国学院大・早大教授。文学博士。1954年(昭和29)文化勲章受章。昭和46年11月14日没。墓は東京都文京区本郷の喜福寺にあったが、のち豊島(としま)区の雑司ヶ谷(ぞうしがや)霊園に改葬された。

山田秀三 2018年10月19日]

『『金田一京助選集』全3巻(1960~1962・三省堂)』『金成まつ筆録、金田一京助訳注『アイヌ叙事詩 ユーカラ集』全9巻(1959~1975・三省堂)』


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改訂新版 世界大百科事典 「金田一京助」の意味・わかりやすい解説

金田一京助 (きんだいちきょうすけ)
生没年:1882-1971(明治15-昭和46)

言語学者,国語学者。文学博士,学士院会員。盛岡市四ッ家町に生まれ,二高を経て1907年東京帝国大学文科大学言語学科卒業。28年東京帝大助教授,42年同教授,43年定年退官。その後,国学院大学教授,日本言語学会副会長,国立国語研究所評議員,国語審議会副会長などをつとめた。大学在学の当時からアイヌ語の研究を始め,しばしば北海道,サハリン(樺太)に実地踏査し,あるいはアイヌ人を自宅に招いて,口承文学作品の筆録と研究につとめ,その言語の言語学的研究を行った。その代表作《アイヌ叙事詩ユーカラの研究》により1932年帝国学士院から恩賜賞を受けた。言語学・国語学に関する著書や論文も多く,第2次世界大戦後は国語・国字改革にもつくした。随筆にもすぐれている。54年文化勲章を受けた。
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百科事典マイペディア 「金田一京助」の意味・わかりやすい解説

金田一京助【きんだいちきょうすけ】

言語学者,国語学者。盛岡市の生れ。東大言語学科卒。アイヌ語研究とユーカラの学問的研究を大成した。主著に《国語音韻論》《アイヌ叙事詩ユーカラの研究》《国語史系統篇》がある。また高等小学校以来の友人石川啄木に関して《新訂版石川啄木》がある。1954年文化勲章。
→関連項目金成マツ金田一春彦知里真志保

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「金田一京助」の意味・わかりやすい解説

金田一京助
きんだいちきょうすけ

[生]1882.5.5. 盛岡
[没]1971.11.14. 東京
言語学者。 1907年東京帝国大学言語学科卒業。國學院大學,東京大学教授。在学中からサハリン,北海道で調査を行ない,多くのユーカラを採録した。以後アイヌ語,アイヌ文学の研究に専念。 1932年『アイヌ叙事詩ユーカラの研究』 (2巻,1931) で帝国学士院恩賜賞を授与される。 1948年日本学士院会員となり,1954年には文化勲章受章。また金田一が訳注をつけた『アイヌ叙事詩ユーカラ集』 (8巻,1959~68,金成マツ筆録) は,アイヌの言語,文学,民俗学研究史上記念碑的作品となったが,9巻目の準備中に急逝。ほかに国語学の論文,著作も多く,『国語史系統編』『国語音韻論』『明解国語辞典』 (監修) ,『辞海』 (監修) などがある。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「金田一京助」の解説

金田一京助 きんだいち-きょうすけ

1882-1971 明治-昭和時代の言語学者,国語学者。
明治15年5月5日生まれ。金田一春彦の父。大正11年国学院大教授,昭和16-18年東京帝大教授。知里(ちり)幸恵,金成(かんなり)マツらの協力をえてアイヌ民族の言語,文学,民俗をはじめて体系的に研究し,昭和7年「アイヌ叙事詩ユーカラの研究」で学士院恩賜賞。29年文化勲章。国語辞典の編集や石川啄木との交遊も知られる。昭和46年11月14日死去。89歳。岩手県出身。東京帝大卒。

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世界大百科事典(旧版)内の金田一京助の言及

【アイヌ語】より

…後者は《もしほ草》とダビドフの集めた単語や例文を材料として分析,構成された労作であった。【藤島 高志】 その後永田方正(1838‐1911),B.ピウスーツキJ.バチェラーらの研究が見られたが,現代アイヌ語学の基礎を作り上げたのは金田一京助であり,その《アイヌユーカラ語法摘要》(1931)は,以後のアイヌ語研究の出発点となっている。その金田一の影響を受けて研究を始めた知里真志保は,《摘要》を下敷きに《アイヌ語法概説》(1936。…

【日本語】より

…フィンランドのアルタイ語学者G.J.ラムステッドも《アルタイ諸語と日本語との比較》(1924)で同じ見解を表明している。またアイヌ語の権威者金田一(きんだいち)京助は,《国語史系統篇》(1932)の中で日本語が原始アルタイ語と遠い親族関係にあると述べている。古代日本語の研究が進み橋本進吉により甲類〈オ〉と乙類〈オ〉の区別が指摘され,これを有坂秀世が母音調和の現象に結びつけたためアルタイ説は強化された。…

【ユーカラ】より

…江戸時代には蝦夷浄瑠璃(えぞじようるり)などと称された。金田一京助によって研究,紹介されて以来,ユーカラといえばこの〈人間のユーカラ〉を指すようになったが,アイヌ語では一般にサコロベ(サコルペ)sakorpe,ヤイエラプyayerap,ハウhawなどとも呼ばれている。 この〈人間のユーカラ〉は大作が多く,短いものでも2000句余,朝まで語り続けても終わらぬほど長大なものもあった。…

※「金田一京助」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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