三会(読み)サンエ

デジタル大辞泉 「三会」の意味・読み・例文・類語

さん‐え〔‐ヱ〕【三会】

連声れんじょうで「さんね」とも》仏語。
仏が成道じょうどう後に、衆生済度しゅじょうさいどのために行う3回にわたる説法。
弥勒菩薩みろくぼさつ釈迦しゃか入滅の56億7000万年後に兜率天とそつてんから人間界に下って、竜華樹りゅうげじゅの下で悟りを開き、衆生のために三度にわたって説くという説法の会座。竜華会竜華三会。
南京なんきょう(奈良)で行われた三大法会。興福寺維摩会ゆいまえ薬師寺最勝会宮中大極殿御斎会ごさいえ。また、興福寺の維摩会法華会に、薬師寺の最勝会を加えていう。三大会。
北京ほっきょう(京都)の三大法会。天台宗の法会で、円宗寺の法華会最勝会、法勝寺の大乗会。三大会。

さん‐ね〔‐ヱ〕【三会】

さんえ」の連声れんじょう

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精選版 日本国語大辞典 「三会」の意味・読み・例文・類語

さん‐え ‥ヱ【三会】

〘名〙 (連声(れんじょう)で「さんね」とも) 仏語。
① 仏が成道後に衆生済度のために三回にわたって行なう説法。〔長阿含経‐一〕
彌勒菩薩(みろくぼさつ)が釈迦の入滅後五六億七千万年に兜率天(とそつてん)から人間界にくだって、龍華樹(りゅうげじゅ)の下で悟りをひらき、大衆のために三度、法を説くという説法の会座。龍華会。龍華三会。
※今昔(1120頃か)四「然れば彌勒の出世の時、三会に得脱せらむ者は此釈迦の遺法(ゆいほふ)の中に一度南无と称し、一搏(にぎり)の食(じき)を施したる輩也」
南京(奈良)で行なわれた三大法会。興福寺の維摩会(ゆいまえ)、薬師寺の最勝会、宮中大極殿の御斎会(ごさいえ)の三つをいう。また、興福寺の維摩会と法華会に薬師寺最勝会を加えていう。奈良の三会。
※観智院本三宝絵(984)下「維摩・御斎・最勝是を三会といふ」
北京(京都)の三大法会。天台宗における三つの大きな法会。円宗寺の法華会と最勝会、法勝寺の大乗会の三つをいう。〔釈家官班記(1355)〕

さん‐ね ‥ヱ【三会】

〘名〙 (「さんえ」の連声) ⇒さんえ(三会)

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日本歴史地名大系 「三会」の解説

三会
みえ

中世の高来東たかくとう郷内にみえる地名。康永四年(一三四五)一〇月二七日の足利尊氏下文写(正閏史料二之一所収厚母文書)には「高来東郷内三会村」とみえ、当村の地頭職・預所職などが開田遠長に安堵されているが、両職は建武二年(一三三五)二月三日の譲状によって父資長(法名は行素)から相伝したという。戦国末期、龍造寺氏を阻止するため島津氏が島原半島出兵、天正一二年(一五八四)三月二三日に「三重之町にて少々矢軍」があった(「上井覚兼日記」同月二四日条)。戦後、島津氏は島原・三会の両城を接収している(「一五八七年日本年報」イエズス会日本年報)

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「三会」の意味・わかりやすい解説

三会
さんえ

三度にわたる法会(ほうえ)または3種の法会。「さんね」ともいう。日本の代表的三大勅会(三会)には南京(なんきょう)三会と北京(ほっきょう)三会がある。

(1)諸仏成道(じょうどう)ののち衆生済度(しゅじょうさいど)のため行われる3回の法会。弥勒菩薩(みろくぼさつ)の龍華(りゅうげ)三会(または弥勒三会)は名高く、弥勒菩薩がこの世に下生(げしょう)して人々を救済するために行われるという法会で、仏滅後56億7000万年の未来に予定されている。

(2)南京三会。南都の三種大法会、すなわち興福寺維摩会(ゆいまえ)、宮中御斎会(ごさいえ)、薬師寺最勝会(さいしょうえ)を称する。維摩会は706年(慶雲3)始修、714年(和銅7)興福寺移修、834年(承和1)以後恒例の法会となった。御斎会は768年(神護景雲2)宮中で始修され、813年(弘仁4)以後内論義(うちろんぎ)が加えられた。最勝会は830年(天長7)薬師寺で始修された。宣下(せんげ)して三会で講師を勤めた者を僧綱(そうごう)に任ずるとして以来、三会は比肩するもののない盛儀となった。

(3)北京三会。京都法勝寺(ほっしょうじ)大乗会(だいじょうえ)(1077始修)、円宗寺法華会(ほっけえ)(1116)、同最勝会(1082)を称する。講師は南京とは別に、まず僧綱に任じられたのち三会を遂講するものとされた。

[西山蕗子]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「三会」の意味・わかりやすい解説

三会
さんえ

諸仏が衆生を救うために法を説く三大説法会のこと。「さんね」とも読む。弥勒仏の三会は竜華 (りゅうげ) 三会ともいわれ,釈尊の教化に漏れた衆生を仏滅後 56億 7000万年後に現れて救済するという。また日本では南京 (なんきょう。奈良) および北京 (ほっきょう。京都) で行われた三大勅会をいう。禅宗では鐘または鼓を 36打つのを一会とし,これを3度繰返して 108打つのを三会と称する。

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