メキシコ干渉(読み)メキシコかんしょう

改訂新版 世界大百科事典 「メキシコ干渉」の意味・わかりやすい解説

メキシコ干渉 (メキシコかんしょう)

フランスイギリススペインによって1862年から行われたメキシコに対する内政干渉。メキシコでは1855年の革命で貧民大衆に支持された自由主義者が勝利し,フアレスが臨時大統領となって憲法を制定し,大土地所有貴族と結びついていた聖職者の財産を没収し,また対外債務の支払停止を断行した。このような状況を前にしてフランス,イギリス,スペインは,債務履行を迫って共同出兵を行い,62年ベラクルスに上陸した。イギリスとスペインはまもなく介入を中止したが,フランスは単独干渉を続行した。ナポレオン3世ははやくからアメリカ大陸に対する野心を抱いており,アメリカ合衆国南北戦争によって分裂しているこの好機をとらえようとした。フランス軍は,63年5月プエブラでの激しい抵抗運動を制圧し,6月にはメキシコを占領した。メキシコの貴族グループは,ナポレオン3世の指示に従ってオーストリアの大公マクシミリアンFerdinand-Joseph Maximilian(1832-67)を皇帝にすえた。しかし,マクシミリアンはメキシコの自由主義者と民衆の支持を得ることはできず,またバゼーヌFrançois-Achille Bazaine(1811-88)の率いるフランス軍は,対仏抵抗ゲリラとアメリカ合衆国の圧力によって67年3月撤退した。メキシコ人はマクシミリアンに対して蜂起し,彼が退位を拒否したため,67年6月彼を銃殺した。このメキシコ干渉の敗北は,フランスの第二帝政威信を揺るがし,その没落一因となった。
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旺文社世界史事典 三訂版 「メキシコ干渉」の解説

メキシコ干渉
メキシコかんしょう

1861年,財政困難で外債の利子支払停止を宣言したメキシコに対して,フランスが行った内政干渉事件。メキシコ出兵ともいう
ナポレオン3世は南北戦争(1861〜65)を利用して,イギリス・スペインと共同出兵してメキシコの内政干渉を行い,1864年共和政を廃してオーストリア皇帝の弟マクシミリアンを帝位につけた。しかし,人民の反抗と南北戦争を終えたアメリカの抗議で撤兵し,1867年マクシミリアンは処刑された。ナポレオン3世の外征の失敗を示す事件。

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