マル生反対闘争(読み)まるせいはんたいとうそう

改訂新版 世界大百科事典 「マル生反対闘争」の意味・わかりやすい解説

マル生反対闘争 (まるせいはんたいとうそう)

1969年から71年にかけて,日本国有鉄道(国鉄,現JR)当局が推進した生産性向上運動をめぐる労使紛争をいう。マル生は,国鉄当局がその指示文書にと印したことに由来する。赤字に転落した国鉄再建のために1969年に国鉄財政再建促進特別措置法が制定されたさい,国鉄当局はその実施にあたって労使関係の変更が必須の条件であると判断した。1960年代後半には現場協議協定の発効もあり,国労動労の戦闘力,規制力が強化されていたためである。最初,当局は日本生産性本部に依頼して管理職から一般職員にいたる体系的な生産性教育を実施し,受講生による労働組合との対抗グループを組織した。70年3月には職員局に職員管理室と能力開発課が設置されたが,この時期以降,当局は狭義の生産性向上運動をこえて,国労・動労組合員と当局に協力的な鉄道労働組合(鉄労)員や組合脱退者とのあいだで昇給昇格差別を行うなど国労・動労組織の弱体化をはかった。これに対して国労,動労は組織防衛活動を強めたが,71年初めには当局との協議では解決が不可能と判断し,国鉄の生産性運動は労働組合組織破壊攻撃であると規定して全面的に反撃する方針を固め,不当労働行為摘発活動を開始した。さらに同年5月の春闘ストライキが当局工作により組合員の脱落が多く実質的な成功をみなかったことから,組織上の危機感はいっそう強まり,8月の国労大会(函館)では〈座して死を待つより立って反撃を〉の方針を確認した。総評も全面的にこれを支援し,政党では社会党共産党のほか公明党も調査団に加わり,マル生反対の強力な運動が展開された。9月札幌地裁が不当労働行為禁止の仮処分を認めたほか,10月には公労委が5件について不当労働行為と認定するにいたって,世論の動向も当局に不利に働き,当局は職員局長など幹部更迭を発表,全面的に屈伏した。こののち,当局と国労,動労とのあいだで紛争処理委員会が設置され,不当労働行為にかかわった現場長などの更迭,現場協議の実質化などが確立された。

 このほか,郵政でも同様の闘争があり,全逓は当局が昇任などで全日本郵政労働組合全郵政)と人事差別し,組合組織攻撃をしていると主張,78年末に強力な職場闘争を展開し,年賀状配達に遅れをきたした。これに対して当局は翌年4月に8000人余りの大量処分を行った。
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世界大百科事典(旧版)内のマル生反対闘争の言及

【スト権奪還闘争】より

…こうした状況のなかで,公労協加盟諸組合,総評加盟の公務員諸組合は,1961年から公式にもストライキという名称を使用するようになり,春闘や合理化反対闘争のなかでしばしばストライキを計画し実行してきた。四・一七ストマル生反対闘争はなかでも有名であるが,これらに伴う刑事事件の発生はほとんどなくなったものの,懲戒処分は相変わらず行われた。第3次公務員制度審議会答申をめぐって,74年春闘において春闘共闘委員会はスト権奪還と国民的諸要求を結合して3次にわたる官民統一ストライキを計画し,第2次まで実施した。…

【労働運動】より

…国労では,〈職場に労働運動を〉というスローガンのもとに職場交渉権の獲得を目ざす運動が進められていった結果,60年代末には事実上団体交渉の場としての性格をもつ現場協議制が成立するにいたった。これをてこにして職制支配に抗する力を養った国労・動労は,70年代初頭,国鉄当局による〈マル生運動〉に対しても頑強に闘い,勝利するにいたった(〈マル生反対闘争〉の項参照)。このような公労協単産における戦闘力の増大は,国鉄・私鉄を結ぶ交運共闘と相まって春闘にもはね返り,春闘相場の底上げにも一定の役割を果たした。…

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