改訂新版 世界大百科事典 「ブドウ(葡萄)酒」の意味・わかりやすい解説
ブドウ(葡萄)酒 (ぶどうしゅ)
wine
ブドウの果実を原料として,発酵させてつくるアルコール性飲料。英語のワインをはじめ,フランス語のバンvin,ドイツ語のワインWeinなどは,みなラテン語のウィヌムvinumを語源とする。かつては世界のブドウの産地は北半球に限られていたが,16世紀後半以後に南アメリカ,南アフリカ,オーストラリアなどでも栽培されるようになり,南半球でもブドウ酒が生産されるようになった。ブドウ酒は,ブドウの糖分を発酵させるだけで酒になる単発酵酒なので,おそらく人類が最も古くからつくっていた酒と思われる。文献上の発見は前2千年紀の古代バビロニアに流布されていた《ギルガメシュ叙事詩》である。このメソポタミアのブドウ酒づくりの技術はエジプト,ギリシアに伝わり,さらにローマ帝国の拡大に伴って西ヨーロッパにも広まった。5世紀の末ころまでに,フランスのボルドー,ブルゴーニュ,シャンパーニュ,あるいはドイツのライン,モーゼルなどの銘醸地がひらかれている。また,赤ワインがキリスト教の行事に使われるようになって,教会や修道院によるブドウ園の経営,ブドウ酒醸造が行われ,これがブドウ酒の普及に貢献するところも大であった。1980年には世界中で3000万kl以上のブドウ酒が生産されたが,その半分はイタリアとフランスでつくられている。日本では江戸時代に〈葡萄酒〉という名の酒がつくられていた。これは《本朝食鑑》(1697)によると,ブドウの果汁を古酒に入れ,氷砂糖を加えて貯蔵する果実リキュールで,薬酒として用いられていた。ブドウ酒は,明治以後も醸造用ブドウの優良品種の育成がむずかしかったことや日本人の嗜好(しこう)の問題があって普及せず,半合成的な甘味ブドウ酒がつくられるにすぎなかった。しかし,第2次世界大戦後,生活の欧風化とともに,優良ブドウの栽培も進んで本格的ブドウ酒の生産が始まり,ブドウ酒消費の増大に対応するようになった。1981年の日本のブドウ酒消費量は甘味ブドウ酒をも含めて約7万klであった。
→酒
分類
ブドウ酒は酒類の中でもっとも多様化しており,分類法もいろいろ行われるが,テーブルワイン,デザートワイン,発泡性ワインに大別するのが便宜である。
(1)テーブルワイン 食事中に飲むブドウ酒で,一般にワインの名称で呼ばれ色調によって赤ワイン,白ワイン,ロゼワインに分けられる。白ワインはまた残存糖量によって辛口(sec,dry)と甘口(doux,sweet)に区別される。アルコール分は14%以下,ふつうは10~12%で,10%以下のものもある。酸分は0.7%内外,主要な有機酸は酒石酸,リンゴ酸,コハク酸,乳酸である。赤ワインは,果皮が黒または濃赤色系のブドウを原料に用い,果皮,種子を分離せずに発酵させ,果皮中の色素と種子中のタンニン質を酒液中に溶出させたもので,渋みのある重厚な香味をもつ。ふつう完全発酵を行うので残糖がなく,ほとんどが辛口である。白ワインは黄ないし緑,または淡紫色のブドウを用い,果皮と種子を除いて搾汁を発酵させる。しかし,黒色ブドウでも果肉の赤くないものは手早く搾汁して白ワインにすることができる。白のテーブルワインは淡泊,爽快な味をもち,渋みは少ない。赤ワインが肉料理に合うのに対し,白ワインは魚貝料理に適する。ロゼワインは,色も味も赤と白の中間のもので,黒色ブドウを赤ワイン同様に仕込み,発酵液が色づいた程度で果皮などを分離し,液部のみを続けて発酵させる。また,黒白両系統のブドウを混ぜて用いることもあり,より低価格のものでは赤ワインと白ワインをブレンドしてつくるものもある。いずれのテーブルワインも発酵後は樽詰にして1~2年熟成させるが,白ワインの場合はタンク貯蔵することも多い。
(2)デザートワイン おもにデザートコースに入ってから飲むのでこの名で呼ばれるが,アペリチフ(食前酒)とされるものもある。ブドウだけを原料とする天然甘味ワインと,ブランデーその他を加えてつくる強化ワインがおもなものである。天然甘味ワインには貴腐(きふ)ワインと呼ばれるものがある。これはブドウの果実の表面に一種のカビが繁殖して半乾燥状態になったもの(貴腐果と呼ぶ)を選別して原料とする。貴腐果は著しく糖度が高まっており,これを搾汁して発酵させると,きわめて豊潤な甘みと芳香をもつ白ワインができる。これが貴腐ワインで,フランスのソーテルヌ地方,ドイツのライン,モーゼル地方(トロッケンベーレンアウスレーゼと呼ばれる),ハンガリーのトカイ(アスズと呼ばれる)などでつくられる。濃黄色で,アルコール分は12~14%,熟成はふつうの白ワインより長くかかる。強化ワインfortified wineは一般にアルコール分が16~20%と高く,糖分も多いものが多い。著名なものには,ポルトガルのポート(ポートワイン),マデイラ,スペインのシェリー,マラガ,シチリア島のマルサラ,キプロスのコマンダリアなどがある。以上の天然甘味ワイン,強化ワイン以外のデザートワインとしては,赤ワインをベースにオレンジやレモンの果汁を加えたスペインのサングリアや,白ワインに香草類を浸漬(しんし)したベルモットなどがある。
(3)発泡性ワイン ブドウ酒中に炭酸ガスが含まれ,栓を抜くと発泡するもので,20℃における瓶内圧力により,高圧(ムスー,4~6気圧),中圧(クレマン,2~3.5気圧),低圧(ペチャン,1気圧内外)に分かれる。高圧の代表的なものにはフランスのシャンパン,ドイツのセクト,イタリアのスプマンテなどがあり,低圧のものにはポルトガルのベルデがある。これらは瓶またはタンクの中のブドウ酒を酵母によって再発酵させ,その際に発生するガスを閉じこめたものであり,ベルデの場合は乳酸菌の作用でリンゴ酸が分解する際に生ずる炭酸ガスを含んでいる。
ブドウ酒には,種類によってうまく飲める温度に差がある。赤ワインは一般に室温がよいとされてきたが,いまは室温の高いことが多いので,味の軽いもの,新しいものなどはやや冷やした方がよい。白ワインやロゼワインは12℃くらい,シェリー,ポート,マデイラなどは7~10℃,シャンパンは6~8℃がよい。
各国のブドウ酒
世界的な銘醸地としては,フランスではボルドーとブルゴーニュが挙げられる。前者ではクラレットとも呼ばれる赤ワインとソーテルヌの貴腐ワインが優れ,後者ではシャンベルタン,ボーヌ,ロマネの赤,モンラッシェ,シャブリの白が逸品である。シャンパンを出すシャンパーニュの名も逸することはできない。ドイツではライン,モーゼル川流域産の白ワインがよく,とくにリースリング種でつくる甘口のアウスレーゼワインの名が高い。イタリアは世界第一の生産国で,全土にわたってブドウ酒がつくられている。トスカナ地方産のキャンティが有名。ハンガリーのトカイ,ポルトガルのポート,スペインのシェリーもデザートワインの銘酒として知られる。東ヨーロッパではハンガリーをはじめ他の諸国でもブドウ酒生産は盛んである。そのほか,アメリカのカリフォルニアのナパ地区をはじめ,南アメリカのチリ,アルゼンチンや,南アフリカ共和国,オーストラリアなどのブドウ酒も,量,質ともに向上している。日本でも山梨県を筆頭に,北海道から九州に至るまでの各地で本格的なブドウ酒が生産されるようになった。
原料ブドウと原産地呼称
ブドウ酒の原料には,ヨーロッパ系ブドウVitis vinifera L.が適している。5000もの品種があるが,実際に利用されているのは約50品種である。そのうちとくに最高品種として著名なのは,赤ワイン用ではボルドーの主力品種であるカベルネ・ソービニヨン,ブルゴーニュの主力品種のピノ・ノアール,およびボルドーのメルロなどがある。ピノ・ノアールはシャンパーニュでは白ワインに用いられる。白ワイン用では,ソーテルヌの中心品種であるセミヨン,ブルゴーニュやシャンパーニュのシャルドネ,フランス以外ではドイツなどのリースリング,シルバネル,スペインのパロミノ,ハンガリーのフルミントなどがある。日本でも有望な品種が多く生み出されているが,白ワイン用では甲州種,赤ワイン用では交配品種のマスカット・ベーリーAなどが代表格である。
ブドウ酒の品質は,原料ブドウの品種とそのブドウが育った土壌,気候によって決定される。そのため現在フランス,ドイツ,イタリア,スペイン,ポルトガルなどの諸国では原産地呼称法(フランスではappellation d'origine contrôlée)を設け,とくに優れたブドウ酒にのみ原産地呼称権を認めて,その品質を保証している。フランスを例にとれば,保証の条件として,生産地域,ブドウの品種,栽培法と収穫量,醸造法,最低アルコール含有率などについての規格を設けている。こうして過去の実績に基づいて優良ブドウ酒を産出している地区産のものにAOCの表示を許し,例えば〈Appellation Médoc contrôlée〉のように指定名称が表示される。このAOC表示は指定区画がボルドーといった地方名,サンテミリヨンといった地区名,マルゴーといった村名,さらにシャトー・オーブリオンといったブドウ園名と小さくなるにつれ,個性が強くなる。AOC表示につぐものとしてはVDQS(限定地域上級ブドウ酒。vin délimité de qualité supérieurの略)表示があり,さらに伝統的な地方ワインにはvin de paysの表示が許されている。なお,ブドウ酒の質はブドウの作柄によっても大きく左右されるので,ラベルには収穫年度を表示することが多い。
製法
完熟したブドウを収穫後直ちに破砕機にかけてつぶし,果梗を取り除き,亜硫酸を少量添加する。このあと,赤ワインでは果皮,種子とともに果汁を発酵槽に集め,酵母を加えて25~30℃で発酵させる。1週間ほどでこの主発酵が終わると,これを圧搾機にかけて果皮,種子を除いたのち,後発酵させる。後発酵が完了したものは樽に詰め,年に1~2回かすを取り除き,そのつど亜硫酸を補添して急激な酸化を防ぎながら,徐々に熟成を進める。こうして1~2年おくと香味が熟成し,清澄した赤ワインができる。これをろ過して瓶詰にし,コルク栓を打ち,室温15~20℃の貯蔵庫の中に横たえて2~3年以上熟成させる。しかし,地区によっては熟成期間を短くして出荷するものもある。なかでもブルゴーニュ地方のボージョレーの新酒は,仕込んで2ヵ月もたたぬ11月15日に発売解禁となり,多くのフランス人を熱狂させる。
白ワインでは,ブドウを破砕機でつぶして亜硫酸を加えると,すぐ圧搾機にかける。この際,果梗の一部を混ぜて搾りやすくする。こうして軽く搾った果汁だけを発酵槽に集め,酵母を加えて15~20℃くらいで発酵させる。発酵日数はどの程度糖分を残すかによって異なる。発酵が終わるとかすを除いて,樽または密閉タンクに入れ,半年から1年ほど熟成させたのち,ろ過して瓶詰にし貯蔵熟成させる。白ワインも産地により,発酵期間,熟成法に違いが見られる。
執筆者:大塚 謙一
文化史
(1)ヨーロッパ ブドウの原産地は,アジアとヨーロッパの接する小アジア(アナトリア)からアルメニアにいたる地域と推定されている。この地方は夏乾型のきわめて乾燥した気候であるため,住民の生活は乾燥に強いオリーブ,ブドウ,ナツメヤシに依存してきた。古来これらの果実を天日乾燥させ主食料としたほか,搾って油やみつを得たのである。とくに漿果(しようか)類のブドウは果汁が多く,しかも容易に得られるうえ,自然に発酵して保存のきくブドウ酒になるので,飲料としても重要であった。
ブドウは古代オリエントからエジプト,フェニキアへ伝えられ,さらにギリシア人やローマ人によって地中海周辺の諸地域へもたらされた。カエサルのガリア遠征(前58-前51)は,ブドウ栽培をさらにヨーロッパ内陸部へ浸透させる契機となった。地中海周辺地域は,中近東よりやや雨量は多いものの夏乾型乾燥気候で,ブドウやオリーブの生育に適しているため,原産地をはるかにしのぐ世界の主産地に発展した。同時に,ヨーロッパでは主食料として小麦の栽培が広く行われているため,干しブドウの食料としての地位は失われ,ブドウ栽培は飲料としての用途にほとんど限られることになった。
ヨーロッパ,とくにラテン系民族の社会には,ブドウ酒を酒と意識しないで飲み続けてきた生活習慣がある。これは,ブドウ原産地の砂漠的環境でブドウ酒を飲水の代りに用いる日常生活が,南ヨーロッパの風土でもまた必然性をもっていたためである。しかし,北ヨーロッパのゲルマン的飲酒文化をあわせもつ内陸部でも,致酔性のあるブドウ酒が,酔うために飲む酒とは別種の飲物となっている。それはキリスト教文化がブドウ酒に特別の意味づけをしているからであるが,その本源的な理由は,ヨーロッパを広く覆うこの宗教が砂漠的風土の中で成立したユダヤ教から生まれたものだからである。聖書は,酒の用語をブドウからつくる酒と〈濃い酒(シェーカール)〉に使いわけして,後者におぼれることを固く戒めている。これは同じ砂漠的風土で生まれたイスラム教が飲酒をきびしく禁じているのに通じる。アラブの食生活に比べ肉食の傾向が強いラテン系民族は,少量のコーヒーや紅茶の代りに,食事中の飲物として酔わない程度にブドウ酒をとることを必要としたのである。
このように〈酔う〉という目的が希薄で,飲用が食事中に限られて日常化している生活が,ブドウ酒文化の原型である。古代ギリシアに見られる酒宴は,ディオニュソス信仰とブドウ酒の飲用が結びついたもので,この時代には食事とまったく分離した飲み方が流行した。プラトンの対話編《饗宴》によって知られる〈シュンポシオン〉がそれである。
古代ギリシア人は商業民族として発展したことによって,彼らが祖先から受けついできた遊牧民の食事に,各地の食物や調理法をとりいれ,大麦や小麦を主食とする食生活へ変わっていった。その結果,豆のスープやヤギの乳,水などが食卓に供せられるようになり,ブドウ酒文化特有のオリーブや肉食と組み合わされた食事の中での飲物という確固とした地位を,ブドウ酒は失うことになった。反面,ブドウ酒を必要としない食事のあとに,ブドウ酒を酒として飲む宴会が発生したのであった。
酒の文化は,〈もの〉としての側面と,〈ふるまい〉としての側面に分けてみることができる。前者はつくる立場に,後者は飲む立場に視点をおいている。ヨーロッパのブドウ酒文化を古代ギリシア・ローマと比較すると,〈もの〉にも〈ふるまい〉にも大きな変化が生じている。なかでも,皮袋やアンフォラと呼ばれる土製の容器が樽にかわったことは,ブドウ酒の製法に熟成という新しい工程を加えることになった。それはさらに,瓶とコルク栓の採用によって,より高度な熟成と,商品としての広範囲な流通を可能にした。
また,強力な海軍の援護によってブドウ酒貿易権を握ったイギリス人は,アルコールを補強する方法を考案し,保存性がよく航海に強いシェリー,ポート,マデイラなどを育てあげて,ブドウ酒の多様化をすすめた。一方,修道院もブドウ栽培やブドウ酒醸造技術の拠点となっていた。シャンパンや各地の銘醸酒の多くが近代醸造学や微生物学の成立する以前に出現したのは,専門的な経験を積んだ修道士の功績であった。
近世ヨーロッパにおける大都市の発達と宮廷生活の爛熟(らんじゆく)が貴族階級の食事文化を高度化した。さらにそれはフランス革命以降,レストランの誕生によって市民の食生活におよんだ。ブドウ酒の産地・産年による品質評価や,料理との組合せに関心が寄せられるようになったのは,食事のメニューが充実して,各地のブドウ酒とともに美食を楽しめるようになった19世紀以降のことである。しかしながら,ヨーロッパのブドウ酒文化は,ブドウ酒が日常の食事と一体になった飲物であることにおいて,その基層は依然として変わっていない。もし,〈ふるまい〉について新しい変化を指摘するならば,それはボージョレーの新酒に対する異常な人気や,赤ワインからフレッシュでフルーティな白ワインへ嗜好が移りつつあることであろう。1970年代以降,伝統的なブドウ酒消費国に起こったこれらの現象は,ブドウ酒が食事とはなれて飲用される可能性をはらんでいる。
ブドウ原産地から西へ伝播(でんぱ)したブドウ酒文化に対し,東へ進んだものはペルシアからシルクロードを経由して,7世紀には唐の都,長安に至っている。同じころ,日本にもブドウは渡来したとする伝説がある。山梨県甲州市勝沼町にある柏尾山大善寺の開祖行基が薬種園を設け,そこにブドウを植えたという。今日の甲州ブドウは,これを起源としているが史実は定かでない。
(2)日本 日本におけるブドウ酒醸造は,1870-71年(明治3-4)ころ,山梨県甲府における山田宥教の試醸を嚆矢(こうし)とする説が流布されているが,確証はない。しかし,74年前後から小規模な醸造が勝沼およびその周辺地区で始まり,77年には大日本山梨葡萄酒会社(通称,祝村葡萄酒会社)が設立され,社員2名をフランスに留学させ,本格的なブドウ酒の生産が行われるようになった。これと並行して,明治政府は殖産興業政策の一環として,大規模な醸造用ブドウの栽培にとり組み,山梨県勧業試験所付属葡萄酒醸造所を助成する一方,開拓使札幌官園や官営播州葡萄園に醸造場を併設し,栽培・醸造一貫の模範施設を民間に示して,ブドウ酒事業の振興をはかった。しかし,84年ころヨーロッパのブドウ園で猛威を振るっていた病害虫フィロキセラが輸入苗木とともに侵入して,明治前期の先駆的な事業は壊滅した。これ以後,日本のブドウ酒産業は,栽培の容易なアメリカ系ブドウを原料とした甘味果実酒に転換する。この滋養強壮をうたった甘いブドウ酒が,以後,1965年ころまで日本のブドウ酒の主流であった。
日本人にとって酒は神祭のために醸造し,神に奉献したのち,おおぜいの人が集まって飲むものであった。酔いは神人一体の境地であり,酒盛りは一座の連帯を固めるものであった。日本人の飲酒におけるこうした〈ふるまい〉は,食卓のブドウ酒を酔いを求めずに飲む西欧人の〈ふるまい〉と対極をなすものであった。明治以降,ビール,ウィスキーにくらべブドウ酒の受容が著しくおくれたのは,ブドウ酒文化の〈ふるまい〉の側面が日本酒文化となじまなかったためである。ブドウ酒は,本来,食事とはなれて,酔うために飲むには適さない。そのような飲み方ができる甘味ブドウ酒は,保健飲料としての効能をうたいながら,いち早く日本人の飲酒習慣の中へ浸透していったのであった。
昭和40年代後半から日本のブドウ酒消費量は急速に伸長し始めた。それは日本人の生活様式,とりわけ食事の洋風化が進んだためといわれている。しかし,この時期,ブドウ酒もまた世界的な傾向として,食事抜きで飲めるフレッシュでフルーティな酒質のものが急速な増加を示している。
このような変化をうながしたのは,伝統的なブドウ酒文化をもつ国々の外側に位置するイギリスや北欧諸国,そしてブドウ酒文化におくれて接し始めたアメリカや日本であった。ブドウ酒文化が広まるにつれて,〈もの〉の面でも〈ふるまい〉の面でも,ブドウ酒文化それ自身もまた変貌をとげつつある。
執筆者:麻井 宇介
象徴と伝説
ブドウ酒は麦と同様に豊饒(ほうじよう)を象徴し,とくに地母神に収穫を感謝する祭りには欠かせぬ飲物であった。酒一般がそうであるが,それがもたらす酩酊(めいてい)状態が日常の規範や禁忌から人々を解放し情熱的にするため,恍惚(こうこつ)状態におちいって神と交感する多くの祭祀でブドウ酒が尊重された。古代ギリシアでは,ブドウおよびブドウ酒の神ディオニュソス=バッコスの祭り(ディオニュシア祭)が行われ,酩酊した女たち(バッカイBakchai)が狂乱の果てに野獣をも引き裂いたという。したがってこの神とブドウ酒とは,理性を象徴するアポロンと対照的に,非理性的な英知,霊感および熱狂の象徴になった。伝説によれば,ディオニュソスは各地を放浪して人々にブドウの栽培を教えたという。またディオニュソスの従者とされるサテュロス,あるいはパンやファウヌスなどの牧神や山の精たちは,好色で酒好きの性格をもち,これはブドウ酒に酔えば性的興奮がかき立てられる事情を暗示している。また詩人ホメロスが海の色をつねに〈ブドウ酒色〉と形容したことから,ときに海の修飾語ともされてきた。
古代以来,ブドウ酒は広く世界中に伝播し,コーランにより飲酒が禁じられているイスラム世界などの例外を除けば,各地にたくさんの伝説や民俗を生みだした。例えば,ブドウ酒の発明についてはペルシアに次のような伝説がある。ブドウの果汁を好んだペルシアの王子ジェムシェドは,ある日,発酵しかけた果汁を飲んで腹痛を起こしたため,毒と思い込んでこれを密封した。しかし,王子に飽きられ世をはかなんだ妻が,自殺しようとこれを飲み干したところ,ほどよく酔って陽気さと美しさを取り戻し,あらためて王子の寵愛(ちようあい)を得た。これ以後ブドウ酒は秘薬としてペルシア中に広まったという。またキリスト教世界では,聖餐(せいさん)のブドウ酒がイエス・キリストの血を表現する。これは聖体の象徴である。《マタイによる福音書》9章17節から出た有名な成句〈古い革袋に盛った新しいブドウ酒〉とは,古い袋に酒を満たしすぎると,それが醸成して袋を破裂させる事実に由来し,転じて〈古い枠をこわす新しい規範〉の意となった。しかし今では,〈形式は古いままで内容だけを新しくする〉という意味に変化している。
執筆者:荒俣 宏
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報