ピエール カルダン(英語表記)Pierre Cardin

現代外国人名録2016 「ピエール カルダン」の解説

ピエール カルダン
Pierre Cardin

職業・肩書
ファッションデザイナー,実業家 ピエール・カルダン社長,エスパス・ピエール・カルダン劇場ディレクター

国籍
フランス

生年月日
1922年7月2日

出生地
イタリア・ベネチア近郊

資格
フランス芸術アカデミー会員(自由創作部門)〔1992年〕

勲章褒章
勲二等瑞宝章(日本)〔1991年〕, レジオン・ド・ヌール勲章オフィシエ章〔1997年〕

受賞
ヤング・デザイナー賞(米国ボストン市)〔1958年〕,金の糸車賞(ドイツ・クレフェルト市)〔1963年〕,デ・ドール賞(金の指ぬき賞)〔1977年・1979年・1982年〕

経歴
2歳の時両親とともにフランスに移住。1945年パリに出て、パカンのメゾンに勤め、ジャン・コクトー、ジャン・マレーと知り合い、映画「美女と野獣」などの衣装部門を担当。’47年クリスチャン・ディオールのメゾンに入り、サン・ローラン、ラロッシュらとニュールックの誕生に参画。’50年独立。’53年第1回コレクションを発表、’54年ブティック・イブを開き、’57年メンズに進出、’59年プレタポルテに進出。’66年「コスモール」と名づけて宇宙ルックを発表、ブームとなった。カルダンの成功はオートクチュール大量生産に結びつけたことで、「モードとは街頭風景を変えること」という創造哲学であらゆる生活空間に挑戦した。’58年初来日。生地を直接人体にあてる立体裁断の講習会を1ケ月間各地で開き、日本のファッション界に大きな影響を与えた。’70年“エスパス・ピエール・カルダン劇場”を開設、世界の伝統芸術紹介の場として提供。’79年には中国で初のファッションショーを開いた。’81年パリの老舗レストラン・マキシム・ド・パリの経営権を取得し、そのブランドを使ったビジネスにも力を入れる。’86年ソ連との間にプレタポルテの現地生産契約を締結。’91年ユネスコ名誉大使に選ばれ、環境をテーマに宝石バッグをデザイン。’92年デザイナーとしては初のフランス芸術アカデミー会員に選ばれた。2010年創立60周年記念イベント開催のため来日。来日は50回以上に及ぶ。

出典 日外アソシエーツ「現代外国人名録2016」現代外国人名録2016について 情報

20世紀西洋人名事典 「ピエール カルダン」の解説

ピエール カルダン
Pierre Cardin


1922.7.7 -
フランスのデザイナー。
ベニス生まれ。
ベニスに生まれ、グルノーブルで育つ。戦後パリに出て、パカンの店に入り、J.コクトーら演劇人と知り合い、映画「美女と野獣」のコスチュームをデザインする。1946年にディオールの店に移り、サン・ローランと共に活躍する。’50年に独立、’53年第1回コレクションを開催する。’59年にはいち早くプレタポルテを手がけ、紳士服、子供服、そのほか食器や家具、生活一般のデザインを試みている。’70年には劇場「エスパース・ピエール・カルダン」、高級レストラン「マキシム」の経営にも着手するなど他方面で活躍。’92年デザイナーとしては初めてフランス学士院の芸術アカデミー会員に選ばれた。

出典 日外アソシエーツ「20世紀西洋人名事典」(1995年刊)20世紀西洋人名事典について 情報

367日誕生日大事典 「ピエール カルダン」の解説

ピエール カルダン

生年月日:1922年7月2日
フランスのファッションデザイナー;実業家

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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