ディルハム(英語表記)dirham

翻訳|dirham

デジタル大辞泉 「ディルハム」の意味・読み・例文・類語

ディルハム(〈アラビア〉dirham)

アラブ首長国連邦モロッコ通貨単位。1ディルハムは、アラブ首長国連邦では100フィルス、モロッコでは100サンチーム。

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改訂新版 世界大百科事典 「ディルハム」の意味・わかりやすい解説

ディルハム
dirham

イスラム世界における銀貨の重さ,金額の単位であると同時に,銀貨そのものの呼称。1ディルハムは銀2.97gが標準であった。金貨の単位であるディーナールとの換算比率は,1ディーナール=10ディルハムが法的標準のはずであるが,実際は時代,地域によって大きな変動があり,極端な場合には1ディーナール=30ディルハム以上ということもあった。ディルハム銀貨最初ササン朝のものをまねてつくられたが,ウマイヤ朝アブド・アルマリク(在位685-705)時代にイスラム独自の銘だけのものが鋳造され,その型がだいたい踏襲された。ディーナール金貨が主として旧ビザンティン領で使われたのに対し,イラクペルシアでは,ディルハム銀貨が流通した。銀の主要な産地は,マー・ワラー・アンナフル,アフガニスタン,東部ペルシアにあった。

 アッバース朝時代になると,各地でディーナールとディルハムの両方が使われるようになり,金銀二本位制が確立した。10世紀の後半になると,シリア以東では金が不足し,国家の予算や給与やその他の大きな額は,すべてディルハムで勘定されるようになった。ところが10世紀末から11世紀にかけては,中東全域で銀が不足するようになり,ディルハム銀貨が改鋳され,かなり品質の悪いディルハムが各地に出回った。これは,サーマーン朝の貿易政策によりインドガズナ朝)およびロシア方面に大量の銀が流出したためといわれている。その後12世紀後半から13世紀になると,中央アジア方面からの銀の供給量が再び増え始め,そのうえヨーロッパからもかなりの量が流入するようになり,再びディルハム銀貨は主要な通貨となった。イル・ハーン国も銀貨を主要通貨としたが,それはディルハムの4倍以上の重さのもので,ディーナール銀貨と呼ばれた。シリア,エジプトでは,14世紀末にはほとんど銀貨はつくられなくなり,つくられてもきわめて質の悪いもので,まもなく銅貨に取って代わられた。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ディルハム」の意味・わかりやすい解説

ディルハム
dirham

ディーナール金貨と並んでイスラム社会に流通した銀貨。最初のディルハムは,ササン朝の銀貨の模倣であったが,ディーナールと同様,698/9年にウマイヤ朝カリフアブドゥル・マリクが法定重量約 2.97gの新貨を鋳造すると,これが 10世紀頃までの標準貨幣として用いられた。ディーナール金貨との交換率は時代と場所によって異なるが,規定では 10あるいは 12ディルハムが1ディーナールであるとされていた。

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「ディルハム」の解説

ディルハム
dirham

イスラーム世界に流通した銀貨。法定重量は2.97gで,ウマイヤ朝のイラク総督ハッジャージュ・ビン・ユースフ(在位694~714)が,イスラーム世界最初のディルハム銀貨を鋳造した。

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世界大百科事典(旧版)内のディルハムの言及

【度量衡】より

…シャリーア(イスラム法)には全国に統一的な度量衡が定められてはいたが,現実には各時代や地域による慣行が重んじられ,これを公正な取引の基準に照らして保持するのが市場監督官(ムフタシブ)の役目であった。重量の基礎はディルハムとミスカールmithqālにあり,1ディルハム(3.125g)は大麦50~60粒を基準にして定められ,ディルハムとミスカールの比は7:10であったから,1ミスカールは4.464gで,これが1ディーナールに相当した。重い物の計量には,キンタールqinṭārとマンmannとラトルraṭlが用いられた。…

※「ディルハム」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」