ディデュモス(英語表記)Didymos

改訂新版 世界大百科事典 「ディデュモス」の意味・わかりやすい解説

ディデュモス
Didymos
生没年:前80ころ-前10

アレクサンドリアで活動した古代ギリシアの文学研究者。サモトラケのアリスタルコス頂点とするアレクサンドリア学派の学問研究を集大成する役割を果たした学者と目されている。《アリスタルコスの校訂》を著し,当時すでにあいまいになっていたアリスタルコスのホメロス校訂問題を明らかにしたほか,ギリシア古典作品への注釈書など4000巻にも及ぶ著作を著したと伝えられ,その博識から〈鉄の胃袋Chalkenteros〉と通称されていた。彼の著作はすべて消失したが,古典作品への古注の記事からうかがわれる限りでは,彼の本領テキスト校訂問題をみずから検討することより,むしろ先人業績をまとめることにあったと推定される。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ディデュモス」の意味・わかりやすい解説

ディデュモス
Didymos

[生]313頃
[没]398頃
アレクサンドリア出身の盲目の神学者。アレクサンドリア教校校長。ニカイア公会議 (325) を支持し,聖書について多くの注釈を施したが,オリゲネス主義に基づく著作はコンスタンチノープル公会議 (553) で非難された。主著としては『三位一体論』 De trinitate,『マニ教徒反駁論』 Contra Manichaeos,『聖霊論』 De spiritu sanctoが残存している。

ディデュモス
Didymos Chalkenteros

[生]前83頃.アレクサンドリア
[没]前10. ローマ?
ギリシアの文献学者。古代ギリシアの文献を収集,編纂して現代に伝えた功績は大きい。 3500冊以上の著作があり,そのためカルケンテロス (青銅はらわたの人) とあだ名されたといわれる。ホメロスのテキストの校訂をはじめ,古代作家の注釈,用語辞典,文法書などの著作があった。

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世界大百科事典(旧版)内のディデュモスの言及

【ギリシア文学】より

…アウグストゥス帝の時代にもギリシアの学者たちは優れた専門家としての好遇を受けるが,中でもハリカルナッソスのディオニュシオス(ディオニュシオス・ハリカルナッセウス)の著述は今日までよく伝存し,その《ローマ史》は貴重な文献資料であり,またそのギリシア文芸や弁論家についての著述や《トゥキュディデス論》は,ローマ時代はもとよりルネサンス以降の近世人のギリシア語・ギリシア文学理解に多大の影響を与えた。またアレクサンドリアでは,ギリシア文学研究の資料散逸を憂えたディデュモスが,数千巻を数える注釈書を草したと伝えられ,今日わずかにパピルス巻本で残っている《デモステネス》注釈は,古代随一の文献学者の該博な知識と旺盛な探究心の一端を鮮やかにとどめている。 ヘレニズム世界の広大な広がりに接し,わけてもローマ人有識層の血肉と化していったギリシア文学は,ここで再び新しい読者と時代を前にして,新たなる発言の形と内容を創出しようとしたかに見える。…

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