コルトー

デジタル大辞泉 「コルトー」の意味・読み・例文・類語

コルトー(Alfred Cortot)

[1877~1962]フランスのピアノ奏者。ロマン派以降の作品について造詣が深く、特にショパン演奏で独特の境地を示した。

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精選版 日本国語大辞典 「コルトー」の意味・読み・例文・類語

コルトー

(Alfred Cortot アルフレド━) フランスのピアニスト詩情豊かな演奏で世界的名声を得る。特に、ショパン、シューマンドビュッシーなどの演奏にすぐれる。(一八七七‐一九六二

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百科事典マイペディア 「コルトー」の意味・わかりやすい解説

コルトー

フランスのピアノ奏者,指揮者,教育家。スイスのジュネーブ湖畔ニヨンに生まれ,パリ音楽院に学ぶ。1897年にピアノ奏者としてデビュー。その後R.ワーグナーに傾倒し,1902年《神々の黄昏》(《ニーベルングの指環》)と《パルジファル》(パルチファル)のパリ初演を指揮。1905年カザルスティボーと〈カザルス・トリオ〉を結成。1907年−1917年母校のピアノ教授を務めたのち,1919年音楽学校エコール・ノルマル・ド・ミュジックを創立リパッティハスキル,サンソン・フランソア〔1924-1970〕ら多くの逸材を育成。ショパンやシューマンのほか,フランス近代音楽に詩情あふれる名演を残した。1952年に来日。《フランス・ピアノ音楽》3巻(1930年−1948年)など著書も多い。→ナット
→関連項目フルニエマセダマルケビチ

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改訂新版 世界大百科事典 「コルトー」の意味・わかりやすい解説

コルトー
Alfred Cortot
生没年:1877-1962

フランスのピアノ奏者。ショパン演奏に一時期を画した。パリ音楽院を卒業,翌1897年デビューして輝かしい成功をおさめた。その後ワーグナーに傾倒してバイロイトに行き,1902年《神々のたそがれ》と《パルジファル》のパリ初演を指揮。05年チェロのカザルス,バイオリンのティボーと結成したカザルス・トリオは,20世紀最高のピアノ三重奏団といわれた。17年母校のピアノ教授に就任したが意見が合わず辞任,19年エコル・ノルマル・ド・ミュジックを創立,後進の育成に力を注いだ。52年来日。テンポ・ルバートを極度に活用したショパンのほか,フランク,ドビュッシー,ラベルの近代フランス音楽の解釈に独特の詩情をみせた。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「コルトー」の意味・わかりやすい解説

コルトー
こるとー
Alfred Cortot
(1877―1962)

フランスのピアノ奏者。テンポ・ルバートを極限まで利用、ショパン演奏に一時期を画したほか、シューマンやドビュッシーでも独自の境地を示した、20世紀前半を代表する大家の一人。スイスのニヨンに生まれ、幼時パリに移る。パリ音楽院を卒業した翌1897年にデビューしたが、ワーグナーに心酔してバイロイトに行き、ワーグナー研究に没頭、帰国後は指揮者としてワーグナーの楽劇のパリ初演に尽力した。1905年、チェロのカザルス、バイオリンのチボーとカザルス三重奏団を結成、室内楽の普及に大きく貢献。17年パリ音楽院の教授に就任したが、教育方針をめぐって学校当局と意見が対立、辞任。19年エコール・ノルマル・ド・ミュジックを創立して院長となり、後進の指導と育成にあたった。その間、独奏者としても活躍を続け、世界的な名声を確立。52年(昭和27)に来日したが、そのときはすでに技巧が著しく衰えていた。しかし熟成したロマン的感覚に根ざしたその演奏は、聴き手の琴線に触れることが多く、その片鱗(へんりん)は残されたレコードで味わうことができる。

[岩井宏之]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「コルトー」の意味・わかりやすい解説

コルトー
Cortot, Alfred-Denis

[生]1877.9.26. ニヨン
[没]1962.6.15. ローザンヌ
フランスのピアニスト,指揮者。パリ音楽院で L.ディエメルに師事,1896年卒業後ピアニストとしてデビュー。一方,ワーグナーに傾倒し,翌年バイロイトへ行き,副指揮者として活躍。 1902年『神々の黄昏』と『トリスタンとイゾルデ』のパリ初演を指揮。 05年 P.カザルス,J.ティボーとともに三重奏団を組織するなど多くの団体を設立し,指揮およびピアノの演奏活動をした。 17年パリ音楽院ピアノ科教授に就任,19年エコール・ノルマル・ド・ミュジークを創立し校長となる。 28年パリ交響楽団設立に際し,E.アンセルメら3人の常任指揮者のうちの一人に任じられた。特に後期ロマン派音楽の解釈にすぐれ,近代フランスの最高のピアニスト。 52年来日。

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