日本大百科全書(ニッポニカ) 「グアテマラ」の意味・わかりやすい解説
グアテマラ
ぐあてまら
Guatemala
中央アメリカ中部の国。正式名称はグアテマラ共和国República de Guatemala。北と西をメキシコ、東をホンジュラスとベリーズ、南東をエルサルバドルと国境を接する。面積10万9117平方キロメートル、人口1198万6558(2002)。首都はグアテマラ市。古代マヤ文明発祥の地であり、ラテンアメリカ諸国のなかでももっとも先住民人口の比率の高い国である。
[栗原尚子・国本伊代]
自然
国土の東西方向に広がる太平洋沿岸低地、シエラ・マドレ山脈と中央高原、カリブ海沿岸低地およびペテン平原の四つの地域に大別される。太平洋沿岸低地は狭小であるが、近年バナナのプランテーションがカリブ海沿岸低地にかわって拡大している。シエラ・マドレ山脈は、メキシコとの国境では標高3500メートル以上に達し、東に向かって低くなり、ホンジュラスとの国境では2000メートルになる。中央アメリカの最高峰タフムルコ火山(4220メートル)をはじめとする火山や、火口湖のアティトラン湖、アマティトラン湖やアヤルサ湖などが点在する。シエラ・マドレ山脈に続く中央高原は、北東から南西に向かう断層に刻まれているが、河谷平野は厚い火山灰に覆われて肥沃(ひよく)な農業地帯を形成し、とくに山麓(さんろく)は同国の主要な産業であるコーヒー栽培の主産地となっている。シエラ・マドレ山脈と中央高原で国土の60%を占める。
この地域はまた地震の多発地帯でもある。1773年の大地震では旧首都アンティグアが壊滅したが、1976年2月にも中央部で大地震があり、死者2万3000、負傷者7万7000、倒壊家屋100万戸という被害を出し、国際的な救援活動が展開された。
一方カリブ海沿岸低地はホンジュラス湾岸に広がり、モタグア川河谷平野が中央高原にまで深く入り込んでいる。北部のペテン平原は国土の約3分の1を占める。ユカタン半島の南半分にあたり、湿地とカルスト地形を伴った石灰岩台地からなり、中央アメリカの他の地体構造とまったく異なっている。
気候は、太平洋沿岸低地では年平均気温が25℃を超え、年降水量は2000ミリメートルである。雨期と乾期に分かれ、サバンナが卓越する。中央高原は同様に雨期と乾期に分かれるが、雨量、気温とも標高によって異なる。首都グアテマラ市の年降水量は1316ミリメートル、ケサルテナンゴでは670ミリメートルである。年平均気温は15~20℃で、高山性温帯気候に属し年間を通じて快適である。カリブ海沿岸低地やペテン平原は、高温多湿な熱帯雨林気候に支配されている。
[栗原尚子・国本伊代]
歴史
1522年、スペインの探検家ペドロ・デ・アルバラドPedro de Alvarado(1485―1541)によって征服される以前は、熱帯のジャングルの中に栄えたマヤ文明の中心地であった。ペテン湖の北のティカルでは、紀元後300~900年の間に、絵文字、精密な太陽暦、ゼロの数字を用いた二十進法、洗練された彫刻、絵画など、高度な文明を発達させていた。
1524年先住民の都イシムチェに初めてスペイン領グアテマラの首都が建設されたが、地震と大水害による破壊のためアンティグアに遷都された。1773年アンティグアが地震などの災害のために破壊され、1776年に現在の首都グアテマラ市に都市が再建設され、グアテマラ総督領の首都として、中央アメリカのスペイン植民地支配の拠点となった。1821年グアテマラ総督領は独立し、1822~1823年の間はイトゥルビデの率いるメキシコ帝国に併合されたが、同帝国の崩壊とともに中米連邦共和国が結成された。しかし各地域の利害が激しく対立して同連邦共和国は1839年に解体し、グアテマラは単独の独立国家となった。
独立後のグアテマラでは、数多くのクーデターが繰り返され、独裁者が次々と現われて実権を握った。まず中米連邦崩壊の直接の原因をつくったカレーラ大統領はみずから定めた終身大統領の地位に就いて27年間実権を握った。1865年にカレーラ大統領の病死後武力で大統領の地位を手に入れたバリオスは、自由主義経済政策を推進すると同時に中米諸国の統一につとめ、その目的で侵略したエルサルバドルにおいて戦死した。1889年の政変で大統領となった次の独裁者エストラーダは1920年まで実権を握り、晩年には奇行の多い暴君と化して議会によって「狂人」と議決され、その4年後に獄中で死亡した。
次の独裁者は1929年の世界恐慌でコーヒー・モノカルチュア(単一作物生産)経済が破綻した直後の1931年に、改革の政治を標榜して大統領に選出された軍人ウビコである。彼は1944年に国民の蜂起(ほうき)で追放されるまで15年間実権を握った。独裁者ウビコを権力の座から引きずり降ろした改革運動は、アレバロとアルベンスという2人の大統領の下で、のちに「グアテマラ革命」とよばれる改革の政治を行った。
1952年に農地改革法を制定した革命政府は、当時グアテマラの可耕地の約半分を所有していた広大なバナナ・プランテーションを経営するアメリカ資本ユナイテッド・フルーツ社と対立。アメリカは社会改革を実施するグアテマラ政府を共産主義政権とみなし、CIA(中央情報局)に介入させて政府を転覆させた。その後文民政権が樹立されるまでの29年間、親米主義を標榜する軍事政権が続いた。
この軍部による強権政治に反対して立ち上がったのが反政府ゲリラ運動である。1960年に左翼ゲリラ統一組織を結成した反政府運動は、農民・労働者・都市住民の間に支持層を広めていき、1982年にグアテマラ全国革命統一連合を結成。1986年に民政移管が実現したがその後も内戦状態は続き、ゲリラ活動の激しさに比例して政府軍のゲリラ掃討作戦も残虐さを増し、軍部による拉致(らち)・殺害によって命を失った国民の数は30万以上に上ったとされる。このように戦場となったグアテマラから多くの国民が難民となって隣国メキシコに避難した。1991年に国際世論の圧力で両者間の和平に向けた話し合いが始まった。しかし軍部の強い反対から和平交渉は進展せず、紆余曲折(うよきょくせつ)を経て和平合意が成立したのは1996年12月であった。36年間という長い内戦状態に終止符が打たれたのである。
[栗原尚子・国本伊代]
政治
三権分立による立憲共和制をとり、現行の憲法は1986年に制定されたものである。国家元相である大統領は18歳以上の国民の投票の過半数を得た政党から選出される。過半数を取得した政党がない場合は、上位2党による決選投票が行われる。大統領の任期は4年で、再選は絶対禁止となっている。議会は一院制で、任期4年の113名の議員で構成される。1994年に行われた選挙では、市民団体や労働組合の働きかけで選挙のボイコットが行われ、棄権率はほぼ80%に達した。政党には、この選挙で第一党となったグアテマラ共和戦線(FRG)、第2位の国民進歩党(PAN)のほかに、キリスト教民主党(PDCG)、国民中央同盟などがある。大統領には、1993年にデ・レオンRamiro de Leon Carpio(1942―2002)、1996年にPANのアルスAlvaro Enrique Arzu Irigoyen(1946― )、2000年にFRGのポルティージョAlfonso Antonio Portillo Cabrera(1951― )、2004年に右派・国民大連合(GANA)のオスカル・ベルシェOscar Bergerがそれぞれ就任した。
[栗原尚子・国本伊代]
経済
グアテマラは中米諸国中最大の人口を擁し、多様な自然環境と資源に恵まれている。肥沃(ひよく)な土壌と気候の変化に富む国土のおかげでさまざまな農産物の栽培が可能である農業はグアテマラの基幹産業であるが、製造業を中心とする軽工業も比較的発達しており重要な役割を果たしている。農業は国内総生産(GDP)の25%(1994)、輸出総額の37%を占め、トウモロコシや小麦など国内消費用基礎作物のほかに、コーヒー、砂糖、バナナが重要な輸出産品となっている。グアテマラ・コーヒーは良質のアラビカ種で、中央高原一帯がおもな生産地であり、輸出総額の約20%を占める。
一方ユナイテッド・フルーツ社が中米地域で最初に進出して栽培したバナナは、当初太平洋岸の低地に拓かれたプランテーションで20世紀の初頭に栽培が始まった。現在ではカリブ海岸地域にバナナ・プランテーションが移動しており、さらに中米地域のバナナの主要生産地はホンジュラスやコスタリカに移っている。その他に比較的多角化された農業部門では、綿花、タバコ、果物、牛肉なども輸出されている。
工業部門は、1960年代から1970年代初めにかけて急成長をとげ、食品、飲料、繊維、衣料などの製造業が中米市場向けに発達したが、中米共同市場(CACM)の停滞と36年におよんだ内戦によって大きな打撃を受けた。しかし中米紛争の終結と域内の安定回復の下で活性化しつつあり、1993年には輸出総額の3分の1を工業製品が占めるに至っている。さらに1970年代の石油危機後に開発が行われた石油資源は、現在では少量ではあるが輸出するレベルにある。
[栗原尚子・国本伊代]
社会・文化
先住民、ラディノladino(混血)、ヨーロッパ系の人々で構成される。国民の42%が先住民からなり、ラテンアメリカで先住民人口が占める割合のもっとも高い国である。先住民はマヤ系民族で、もっとも人口規模の大きいキチェをはじめとして約20の言語集団に分かれている。スペイン語が公用語であるが先住民の固有の言語も広く話されている。マヤ系民族の強い伝統文化とアイデンティティは国民統合を難しくしてきたが、内戦の終結後、多民族・多文化社会を目ざす新しい動きが活発になっている。先住民の伝統的生活様式を捨てた人々および先住民と白人との混血はラディノとよばれ、国民の約50%がこの分類に入る。初等教育6年間が義務教育で、成人の識字率は68%(1999)となっている。国立のサン・カルロス大学は植民地時代の1676年に創設された伝統ある大学。大学生の数は7万を超す(1995)。
[栗原尚子・国本伊代]
『細野昭雄・遅野井茂雄・田中高著『中米・カリブ危機の構図』(1987・有斐閣)』▽『加茂雄三・細野昭雄・原田金一郎著『転換期の中米地域』(1990・大村書店)』▽『石井章編『冷戦後の中米―紛争から和平へ』(1996・アジア経済研究所)』