キサンガニ
Kisangani
コンゴ民主共和国北東部,オリエンタル州の州都。1966年までスタンレービル Stanleyville。赤道のやや北,コンゴ川上流のルアラバ川沿岸に位置。探検家ヘンリー・M.スタンレーをはじめヨーロッパ人のかつての前進基地で,1883年ヨーロッパ人が建設。キンシャサからの 1734kmにわたる河川交通の終点。1906年に上流のウブンドゥと結ぶ鉄道が建設され,キブ州,カタンガ州との交通中継地として発展。コンゴ動乱ではルムンバ派の拠点となり,1964年ベルギーの空挺部隊が降下,一時外国人傭兵部隊に占領された。今日では行政,経済の中心地,周辺の農業地帯で産する米,綿花,コーヒー,カカオを主とする農畜産物の集散地,ビール,家具,衣類などの工業都市として発展。空港,大学もある。上流約 50kmにボヨマ瀑布があり,観光地となっている。人口 68万2599(2004推計)。
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キサンガニ
きさんがに
Kisangani
アフリカ中部、コンゴ民主共和国(旧ザイール)北東部の都市。東部州の州都。旧称スタンリービルStanleyville。人口49万7800(2001推計)。コンゴ(ザイール)川上流にあるボヨマ滝(スタンリー滝)の下流右岸に位置する。古くから開けた町で、1877年に探検家スタンリーが訪れたときは、東アフリカからきたアラブ人の通商の要地であった。またベルギーの植民地時代には内陸部開発の拠点となった。1960年の独立以降のコンゴ動乱の時期には、ルムンバ派のギゼンガの率いる国民党の拠点となり、64年、ベルギー軍の落下傘部隊が降下し大きな被害を受けた。その後復興し、内陸部の行政、経済、交通の中心地、また農畜産物の集散地、工業都市として発展している。キンシャサからのコンゴ川の河川交通の終点であり、ワゲニア人の簗(やな)漁は観光の目玉となっている。
[赤阪 賢]
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キサンガニ
コンゴ民主共和国北東部,ザイール川(コンゴ川)沿いの都市。旧名スタンリービル。ザイール川中流の河港で上流50kmにスタンリー滝がある。南方約100kmのウブンドゥまで鉄道も通ずる交通の要地。1877年最初のヨーロッパ人としてH.スタンリーがこの地に到着,旧名は彼の名にちなむ。1960年コンゴ独立時はルムンバ派の本拠となり,1964年9〜11月には同派のギゼンガがコンゴ共和国中央政府をおいた(コンゴ動乱)。78万3000人(2010)。
→関連項目コンゴ[川]
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デジタル大辞泉
「キサンガニ」の意味・読み・例文・類語
キサンガニ(Kisangani)
コンゴ民主共和国北東部の都市。旧称スタンリービル。コンゴ川中流のボヨマ滝付近に位置する。古くからアラブ人の交易の要地であり、19世紀末、探検家ヘンリー=スタンリーが訪れ、町を開いた。20世紀初頭に鉄道が開通し、農産物の集散地、工業都市として発展した。
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キサンガニ【Kisangani】
中部アフリカのコンゴ民主共和国(旧,ザイール)の中央北部,コンゴ川の中流に沿った港町。オート・コンゴ州の州都。人口41万8000(1994)。かつてはスタンリービルと呼ばれ,首都レオポルドビル(現,キンシャサ),南部のエリザベートビル(現,ルブンバシ)に対抗する政治経済の中心であった。旧名は1883年探検家H.スタンリーによって開かれたことにちなむ。キンシャサから1700kmある河川航路の終点で,1906年さらに内陸に通ずる鉄道が開通して,商工業の中心として発展した。
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