エネアシルビオピッコロミニ(英語表記)Enea Silvio Piccolomini

改訂新版 世界大百科事典 の解説

エネア・シルビオ・ピッコロミニ
Enea Silvio Piccolomini
生没年:1405-64

教皇ピウス2世(在位1458-64)の俗名シエナの没落貴族の家に生まれ,法学を学んだ。バーゼルの公会議の書記となり,ニコラウス・クサヌスに代表される〈公会議首位説〉の信奉者となった。つづいて皇帝フリードリヒ3世の書記官に就任。人文主義者としての学識を発揮して,歴史,地理,詩など多くの著作を書く一方,外交活動にも活躍した。その後,聖職者の道を歩み,トリエステやシエナの司教枢機卿をへて1458年教皇に選出され,ピウス2世として即位した。彼は,公会議書記の時代とは逆に〈教皇首位権〉を主張,その確立のために努力するとともに,対トルコ十字軍の実現に全力を傾注した。59年マントバで十字軍のための会議を召集し,キリスト教君主たちにメフメト2世と戦い,コンスタンティノープルを回復することを訴えたが,失敗に終わった。ピウス2世は自ら十字軍の先頭に立とうとしてアンコナへ赴き,そこで没した。人文主義者としての深い教養,鋭い美的感覚,世俗的知識,それに教会の使命に対する信念が共存する〈人文主義教皇〉であった。三人称で書かれた自伝《彼の時代の記憶すべき事物についての注解》は,各地の地理・風俗習慣などの記述を含む興味深い作品である。シエナの大聖堂にはピントゥリッキョ作といわれるピウス2世一代記の壁画がある。
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出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報