みやき(町)(読み)みやき

日本大百科全書(ニッポニカ) 「みやき(町)」の意味・わかりやすい解説

みやき(町)
みやき

佐賀県東部、三養基郡(みやきぐん)にある町。2005年(平成17)、三養基郡中原町(なかばるちょう)、北茂安町(きたしげやすちょう)、三根町(みねちょう)が合併して成立。北と南で福岡県と接する。北部は脊振(せふり)山地で、南に向かって、なだらかな丘陵台地が広がる。南部は筑後(ちくご)川に沿う沖積低地で、溝渠(こうきょ)(クリーク)が多い。寒水(しょうず)川、切通川などが貫流し、筑後川に注ぐ。北部の旧中原町地域は、『肥前国風土記(ひぜんのくにふどき)』に記載された漢部(あやべ)(綾部)郷で、新羅(しらぎ)征討の際、漢人(あやひと)を居住させて兵器をつくらせたといわれている。中世においては綾部城が置かれ、近世では長崎街道の中原宿(しゅく)としてにぎわった。中部の旧北茂安町地域にある物部(もののべ)神社一帯は、『肥前国風土記』にみられる物部郷とされる。また、旧町名は江戸初期に千栗土居(ちりくどい)などの築堤工事に功があった佐賀藩重臣の成富兵庫茂安(なりとみひょうごしげやす)に由来する。南部の旧三根町地域は、『肥前国風土記』にある景行(けいこう)天皇説話の御寝(みね)の意と伝えられ、のち旧郡名(三根郡)ともなった。

 中北部をJR長崎本線と国道34号(長崎街道)、その北方を長崎自動車道が横断、また南部を264号が横断する。鳥栖(とす)、久留米(くるめ)両市と隣接し、近くに佐賀市もあるため、それらへ通勤する者が多い。住宅地開発や企業誘致が進められ、工業団地の造成がみられる。米麦作が中心であるが、近郊農業としてトマトなどの野菜園芸が盛ん。姫方遺跡は住宅団地造成にともなって発見されたもので県指定史跡。そのほか、九州五社八幡(はちまん)の一つ千栗八幡宮、浮立(ふりゅう)神事で知られる綾部神社、矢俣(やまた)八幡や宇佐八幡がある。面積51.92平方キロメートル(境界一部未定)、人口2万5511(2020)。

[編集部]


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