せたな

改訂新版 世界大百科事典 「せたな」の意味・わかりやすい解説

せたな[町]

北海道南西部,渡島(おしま)半島北部にある檜山(ひやま)支庁久遠(くどお)郡の町。2005年9月北檜山,瀬棚(せたな),大成(たいせい)の3町が合体して成立した。人口9590万(2010)。

せたな町中部の旧町。檜山支庁の旧瀬棚郡所属。日本海に面する。1955年東瀬棚町と太櫓村が合体,改称。人口6292(2000)。旧太櫓村には松前藩時代に〈場所(漁場)〉と運上屋がおかれ,場所請制がしかれていた。内陸部は明治に入ってから開拓され,農地化が進められた。農業就業者が全就業者の33%(1990)を占めて最も多く,サービス業の就業者がこれに次ぐ。太櫓川,後志利別((しりべしとしべつ))川流域に水田が開け,水稲,ジャガイモ,テンサイの生産が多い。乳牛,肉用牛の飼育も多く,南北山麓の丘陵地帯で行われる。太櫓海岸にはイカ漁を主とする漁業集落がある。近年は海岸線の美しさをいかして観光にも力が入れられている。

せたな町北西端の旧町。檜山支庁の旧瀬棚郡所属。人口2820(2000)。西は日本海に面している。市街地を貫流する馬場川の上流地方をアイヌ語で〈セタナイ(犬・川)〉と呼び,転訛して〈せたない〉になったという。寛政年間(1789-1801)に河口に運上屋が設置され,全域が瀬棚と呼ばれるようになったといわれる。慶長年間(1596-1615)松前藩がこの地に場所を設け家臣に与えてから,ニシン漁を中心に発展してきた。現在も漁業が基幹産業であるが,沿岸漁業の不振から離村する漁民も多い。国道229号線の茂津多(もつた)トンネルの開通(1976)で,北隣の島牧村とは陸路結ばれ,奥尻島とのフェリー・ターミナルの完成もあって観光地として注目されている。港近くの海中から突出する高さ30m余の三本杉岩は町のシンボルとなっている。

せたな町南西端の旧町。日本海をへだてて奥尻島に対する。檜山支庁久遠郡所属。人口2730(2000)。急傾斜地が海岸にせまり,海岸沿いのわずかな平地に集落が点在する。19世紀初めごろから東北,北陸の漁民がニシンを追って北上し,定住するようになったといわれる。漁業中心の町であるが,漁業資源の涸渇から年々漁家数は減り,恒常的な出稼ぎが行われている。おもな漁獲物はイカ,スケトウダラであるが,南部の貝取(かいとりま)に温泉熱を利用したアワビの種苗供給センターを設けるなど養殖漁業に転換しつつある。農業は平地,段丘地で米,アスパラガス,イチゴを産する。美しい海岸線が続き,貝取温泉(国民温泉)のほか,臼別川中流に臼別温泉がある。国道229号線が通じる。
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