黒沢琴古(初代)(読み)くろさわ・きんこ

朝日日本歴史人物事典 「黒沢琴古(初代)」の解説

黒沢琴古(初代)

没年:明和8.4.23(1771.6.5)
生年宝永7(1710)
江戸中期の尺八琴古流流祖。本名幸八。黒田美濃守の家臣であったという。詳しい経歴は不明。若くして普化宗に入り,江戸にあっては尺八の名手として,普化宗両本寺(一月寺,鈴法寺)の 吹合(尺八指南役)を務めた。自身による曲の案出のほか,それまで虚無僧などによって伝えられていた多くの尺八曲を収集整理し,30曲余りを流曲として制定,琴古流の基礎を築いた。尺八の製管もよくし,現在残るその作品数管は音楽学の史料としても貴重。弟子には,一閑流を唱えた宮地一閑などがいる。<参考文献>栗原広太『尺八史考』(復刻,1975)

(瀬山徹)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「黒沢琴古(初代)」の解説

黒沢琴古(初代) くろさわ-きんこ

1710-1771 江戸時代中期の尺八奏者。
宝永7年生まれ。琴古流の創始者。もと筑前(ちくぜん)福岡藩士。浪人し,虚無僧(こむそう)となって各地を遊歴。普化(ふけ)宗の両本寺,下総(しもうさ)小金(千葉県)の一月(いちげつ)寺,武蔵(むさし)青梅(おうめ)(東京都)の鈴法寺の吹合(ふきあわせ)となり,尺八の指導にあたる。諸国の尺八曲を収集整理し,楽器改良にもつくした。明和8年4月23日死去。62歳。名は幸八。

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