黒旗軍(読み)こっきぐん

精選版 日本国語大辞典 「黒旗軍」の意味・読み・例文・類語

こっき‐ぐん コクキ‥【黒旗軍】

一九世紀後半、インドシナトンキンベトナム北部)でフランス軍に抵抗した中国天地会系の農民軍。劉永福太平天国の乱の後、トンキンに渡り組織したもの。黒地に「義」と朱書きした旗を用い、清仏戦争でも活躍した。一八八五年解体。劉は日清戦争時に台湾で抗日戦を指揮したのち、九六年、広東で再び黒旗軍を組織したが、大きな勢力とはならなかった。黒旗兵

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百科事典マイペディア 「黒旗軍」の意味・わかりやすい解説

黒旗軍【こっきぐん】

19世紀後半,太平天国動乱(1851年―1864年)ののち,清仏戦争(1884年―1885年)にいたるまで,ベトナム北部のトンキンでフランス人に強く抵抗した中国の農民軍。劉永福(1837年―1917年)を首領に,天地会という秘密結社に集まった農民を中心とした。広東省貧農に生まれた劉は,天地会に入会して太平天国の農民運動に参加して敗れると,トンキンに逃げ込んでグエン(阮)朝に仕えて黒旗軍を組織し,黒地に〈義〉と朱書した旗を用いた。ベトナム侵攻を図るフランス軍や地方の土匪軍との戦いに戦果をあげて劉はグエン朝から三宣提督の官名を得た。ベトナムの宗主国である清朝は黒旗軍と協力をしなかったが,フランスの侵略が公然化して清朝も宣戦して清仏戦争となると,劉を提督に任命した。清軍がフランスの軍事力に抗しえず降伏すると黒旗軍は孤立して消滅,劉は両江総督張之洞(ちょうしどう)の要請で帰国した。のち,日清戦争で劉は台湾に派遣されて日本軍と戦い,さらに義和団が起こると1896年に広東で再び黒旗軍を編成,清朝を支えて排外運動に参加したが,昔日の勢力はなかった。

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改訂新版 世界大百科事典 「黒旗軍」の意味・わかりやすい解説

黒旗軍 (こっきぐん)

19世紀後半ベトナム北部に割拠して,フランス軍に抵抗した中国天地会系の私軍。首領の劉永福は本来,天地会系農民軍の武将であったが,1865-66年ころ清軍に追われて首領の呉鯤とともにベトナム北部に入り,67年頃からソンコイ川上流の雲南通商路の要衝ラオカイ(老開,保勝)に拠って,中国・ベトナム貿易路を支配する半独立国を形成する一方,グエン(阮)朝に帰順してその私軍黒旗軍を率い,他の中国系匪賊と戦った。しかしソンコイ川を通じての中国交易はフランスの求めるところであり,73年黒旗軍はハノイ占領中のM.J.F.ガルニエを破って殺し,83年にはリビエールを戦死させ,トゥドゥック嗣徳)帝から嘉賞された。しかしリビエール事件はフランスの北部介入と清仏戦争を招き,黒旗軍は清将唐景崧の率いる中国正規軍とともにしばしばフランス軍を破ったが,85年両広総督張之洞の要請により中国に帰国して解散した。日清戦争後の96年に劉永福は再度黒旗軍を組織して台湾に渡るが,大きな反日勢力とはなりえなかった。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「黒旗軍」の意味・わかりやすい解説

黒旗軍
こっきぐん

19世紀後半、ベトナム北部に割拠して、フランス侵略軍に抵抗した、中国の革命的秘密結社天地会系の私軍。首領の劉永福(りゅうえいふく)は本来、天地会系農民反乱軍の武将であったが、1863年清(しん)軍に追われて、ベトナム北部に入った。65年ごろより、ソン・コイ川上流から雲南通商路の要衝ラオカイ(老開、保勝)を根拠として、中越貿易路を支配する半独立国を形成する一方、ベトナム阮(げん)朝(グエン朝)に帰順して、他の中国系匪賊(ひぞく)集団と争った。しかし、ソン・コイ川を水路として利用した中国貿易はフランスの求めるところであり、黒旗軍とフランスとの衝突が起こった。73年黒旗軍はハノイにガルニエを破って殺し、83年には同じくリビエールを敗死させて、嗣徳(ツードック)帝から賞された。しかし、リビエール事件はフランスの北部介入と清仏(しんふつ)戦争を招いた。黒旗軍はしばしばフランス軍を破ったが、85年両広(広東(カントン)、広西の2省)総督張之洞(ちょうしどう)の要請によって軍を解散した。こののち96年日清戦争後、広東でふたたび劉の下に黒旗軍が組織されたが、大きな軍閥勢力とはなりえなかった。

[桜井由躬雄]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「黒旗軍」の意味・わかりやすい解説

黒旗軍
こっきぐん
Hei-qi-jun; Hei-ch`i-chün

19世紀後半,フランスのベトナム侵略に抵抗した,劉永福を首領とする中国人部隊。劉永福は太平天国のときに天地会の反乱に参加,失敗後にベトナムに逃れ,中国との国境地帯を地盤として黒旗軍を編成 (1867) ,黒地に「義」と朱書した旗を用いた。同治 12 (73) 年にはハノイを占領した M.ガルニエを敗死させ,光緒9 (83) 年にはフランス軍司令官リビエールを戦死させ,清仏戦争にも活躍したが,清朝の屈服により帰国 (85) 。のち日本の台湾領有や義和団事変に際しても抵抗した。

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旺文社世界史事典 三訂版 「黒旗軍」の解説

黒旗軍
こっきぐん

太平天国の乱後,ヴェトナムでフランス軍に抵抗した中国人の軍隊
清末の軍人劉永福 (りゆうえいふく) が安南で組織した。

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