広東省(読み)カントンしょう

精選版 日本国語大辞典 「広東省」の意味・読み・例文・類語

カントン‐しょう ‥シャウ【広東省】

中国の最南端、南シナ海に臨む省。省都は広州。古くは粤(えつ)の住地で秦の始皇帝のとき中国の版図に入り、唐代までは流刑地であった。コワントン省。カントン

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デジタル大辞泉 「広東省」の意味・読み・例文・類語

カントン‐しょう〔‐シヤウ〕【広東省】

広東

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改訂新版 世界大百科事典 「広東省」の意味・わかりやすい解説

広東[省] (カントン)
Guǎng dōng shěng

中国,最南部の省。略称は粤(えつ)。面積18万0297km2,人口8523万(2000)。省都は広州市。雲貴高原に源を発する西江の流域を中心とする華南の東部を占め,南は南シナ海に臨み,雷州半島からトンキン湾岸地域を含んでベトナムと境する。長江(揚子江)流域を中心とする華中とは,数条の並行する山嶺からなる南嶺を分水界とし,北は湖南省,江西省,東は福建省,西は西江流域の広西チワン族自治区に接する。1996年現在,54市(広州,深圳,珠海,汕頭,韶関,中山,仏山,湛江など),43県,3自治県(連山チワン族ヤオ族,連南ヤオ族,乳源ヤオ族)から構成される。住民の大部分は漢族であるが,リー(黎)族,チワン(壮)族,ヤオ(瑶)族,ミヤオ(苗)族,回族,満州族,ショオ(畲)族の少数民族が約125万人,おもに北西部の山地に居住している。

春秋戦国時代は百越の地であった。秦代に始皇帝が大軍を派遣して征服し,南海,桂林,象の3郡を置いた。秦末,中原の混乱に乗じて趙佗が南越国を建てたが漢に滅ぼされた。漢は南海,儋耳(たんじ),合浦,蒼梧など嶺南9郡を置いて漢人の移住を推し進めた。当時,南方の特産物であった犀角,象牙,翡翠などが広州を通して中原地方へ運ばれた。唐代には嶺南道が置かれ,その下に広州,容州,桂州,邕州(ようしゆう),安南の5管が設置された。後,嶺南東道が分置された。この時期に大庾嶺越えの陸路とベトナムへ至る水路が開設された。五代十国時代には南漢国が建てられた。宋はこれを滅ぼして,ここを広南東路としたが,西部の沿海地区と海南島は,広南西路に属した。元はこれを引き継いで,前者を江西行省,後者を湖広行省に属せしめたが,〈瘴癘(しようれい)の地〉として顧みられることは少なかった。明代に広東布政使司が置かれて,広東省の境域が定まった。古くより広州を中心に対外貿易が盛んで,西欧諸国との接触ももっとも早かったが,1887年(光緒13)広東デルタ南西端の澳門(マカオ)がポルトガルの植民地となり,1842年(道光22)には香港島が,60年(咸豊10)には対岸の九竜がイギリスに割譲された。98年(光緒24)には九竜半島全域がイギリスの租借地となり現在に至る。98年にフランスが租借した広州湾は1946年に返還された。88年に海南島が省に昇格し,広東省から分離した。

本省の地勢は北高南低で,山地と丘陵が総面積のそれぞれ33%,25%を占める。南海諸島を除くと,次の5区に分けることができる。(1)粤北山地 北東~南西方向に南嶺山脈が走り,石坑崆(1902m)をはじめ,1500mをこえる山嶺がいくつもそびえる。この山脈は華中と華南の分界として知られるが,珠江水系と長江水系との分水嶺でもある。山脈中の大庾嶺を越えて古くより中原に至る陸路が通じ,南宋代にはとくに重視されていた。また韶関から楽昌を経て,東路嶺を越えて湖南省の宜章に至る道筋は,現在では京広鉄道(北京~広州)が通り,南北交通の大動脈となっている。(2)粤東北山地および粤東南丘陵 東より蓮花,羅浮,九連,海岸,青雲の1000m前後の5山地が北東~南西方向に走る。それらの間に比較的幅が広い河谷と数多くの盆地が発達し,農地に利用されている。また,本省第2の大河である韓江(全長410km)の下流には潮汕平原がひろがる。(3)粤西山地・台地 広西チワン族自治区に接する北部に,1000m未満の低い山地と丘陵が続き,その間に盆地と河谷が発達する。湛江流域と雷州半島には50~150mの平原・台地がひろがる。(4)珠江三角州 本省は平野が狭小であるが,うち珠江三角州(広東デルタ)が最大で面積は1万1300km2ある。この三角州は珠江を構成する西江・北江・東江の活発な沖積作用により,現在もなお伸びつつある丘陵性複合三角州である。地形は低平で,河渠が縦横に走り,水量も豊富で密度の高い河川交通網が発達している。また珠江が運んできた肥沃な土壌が厚く堆積している。珠江は豊富な水量と9216kmにおよぶ通航可能な支流網によって省内の約70%の市鎮を結び,とくに西江は古来より広東と広西とを結ぶ大動脈であった。(5)南海諸島 ほとんどがサンゴ礁からなり,東沙,中沙,西沙,南沙の4群島に分かれている。

 本省の気候は,北部の一部が湿潤温暖気候に,南海諸島が熱帯モンスーン気候に属するほかは,すべて冬季乾燥気候に属す。一般に高温多雨で,年平均気温は20~26℃の間にある。海洋に面して気温の年較差は小さく,海南島では10℃にすぎず,大陸部分でも13~17℃である。冬季の寒波は南嶺山脈に妨げられ侵入することは少ない。北部の山地・丘陵の一部を除けば最寒月でも平均気温は13~18℃あり,降雪や霜をみることはほとんどないが,まれに寒波により農作物に被害が出ることがある。年降水量も1500mm以上で,中央部から東部海岸にかけての丘陵地帯と西部海岸,海南島東部では2000~2500mmに達する。降水の特徴は4~9月の雨季に降水が集中することで,70~80%がこの期間に得られる。10~3月の乾季にときおり数十日連続して降雨がないこともあるが,主要作物の需水期間に連続して降雨が得られないことはまれで,たとえ干害にみまわれても華北のような厳しさはない。むしろ雨季の間にたびたび来襲する台風による河川のはんらんが農業や経済建設の主たる障害になっている。

本省は高温多雨の気候に恵まれ,一年を通じて耕作が可能である。農業の基幹は水稲作であるが,この地区の特色はサトウキビや桑葉,レイシ(茘枝)・リュウガン(竜眼)・バナナ・かんきつ類など熱帯・亜熱帯性果樹のプランテーション的栽培が重要な部門を占めていることである。しかも,これらの作物は一年を通じて何回でも収穫される。たとえば主穀作物は三毛作ないし四毛作が可能であり,蔬菜類は一年に8~11回収穫可能で,まゆの掃立ては8回,茶の摘葉も7~8回可能である。また果樹は四季を通じて実をつけ,たえず市場をにぎわせている。しかし解放前は長期にわたり食糧が不足していた省であったが,解放後,全省にかけて多くの災害防止ダム,発電所に加えて総合的な水利施設が整備されて,農地の灌漑面積を拡大した。そして大部分の水田は干ばつ,冠水時でも多収穫を保持できるようになった。

 米の生産量は全省の食糧総生産量の85%を占め,その他サツマイモ,小麦,トウモロコシ,コーリャンが栽培される。経済作物にはサトウキビ,桑,タバコ,ジュートを主とし,ラッカセイ,サイザルアサ,ゴム,コーヒー,ココヤシアブラヤシ,ラミーアサ,茶,香茅(レモングラス)なども多く栽培される。サトウキビは珠江三角州を中心に韓江三角州がこれに次ぎ,全国総生産量の20%前後を占める。ジュートは珠江三角州と省の西部に多く,全国の約20%の生産高がある。桑は珠江三角州が中心で,中国の三大養蚕基地の一つである。またサイザルアサ,ヤシ,コーヒー,ゴム,香茅などは雷州半島で栽培される。果樹栽培も全省にわたり盛んに行われ,約60種のうちレイシ,リュウガン,かんきつ類,パイナップル,バナナなどがおもに栽培される。バナナ,レイシは珠江三角州が主産地で,パイナップルは雷州半島,韓江三角州,東江下流部の丘陵地帯が主産地である。

 森林は省北西部の山地によく繁茂しているが,木材蓄積量の半分は松と杉で,クスノキも多い。また桐油,茶油,コルク,松やに,薬草類も多く生産される。水産養殖業も珠江三角州を中心に発展しており,桑基魚塘もしくは蔗基魚塘方式で行われている。沿海部では,カキ,エビ,コンブアワビなどが養殖される。南海北部,北部湾,西沙群島およびその海域は中国の重要漁場の一つであり,アジ,イカ,タチウオ,イワシなどの漁獲が多い。広州,湛江,汕尾が主要漁港である。また南海諸島には,サンゴ,タイマイ,ナマコなどを多く産し,燕窩(ツバメの巣)やフカのひれなどもここに集められる。島々には海鳥の糞であるグアノが厚く堆積する。

 地下資源も豊富で,タングステン,スズ,アンチモニー,ビスマス,モリブデン,銅,亜鉛の大きな鉱床がある。石炭はタングステンとともに南嶺山地に多く,鉄は北部に多い。茂名には豊富なオイルシェールの鉱床があり,珠江沖の海底には有望な油田が眠っている。本省では広州と茂名,沙角に大型火力発電所があるほかは,ほとんど水力発電に頼る。流れはゆるやかだが水量が豊富な珠江の支流の各地に低落差発電所が建設されている。また大亜湾で12基の原子力発電所の建設も進められており,1994年から一部運転している。

 現代の広東省は国内で工業をはじめ経済が最も発達した先進地域であるが,改革開放が行われる前までは決して豊かな省ではなかった。建国後,華南では比較的工業が発達した省であったが,近代的な重化学工業よりも,歴史的伝統がある製糸・製糖や繊維・縫製など軽工業が中心で,工場の数は非常に多いがそのほとんどが零細な〈地方五小工業〉であった。近代工業は,広州に石油化学コンビナートや造船・機械・化学が,仏山に電子機械工業団地が,韶関に製鉄業が発達した。軽工業の中心は製糖業であったが,サトウキビの搾りカスを原料に製紙業も盛んである。また仏山と順徳を中心に製糸・絹織物業が発達し,搾油・缶詰・化学肥料などの工業も各地に立地した。伝統的な手工業には,石湾の陶磁器,汕頭の刺繡,新会のビロウ製うちわ,東莞の花火,肇慶のござ,広州の象牙細工などが知られる。

 1978年の広東省のGDPは全国第7位であったが,その後の経済発展はめざましく,80-94年のGDPの平均伸び率は14.5%で全国平均を4.4%上回った。1人当りGDPは全国平均に達していなかったが,86年に追いつき,95年には8026元で全国平均の1.7倍となった。全国経済に占める地位も急速に高まり,GDPが全国に占める比率は80年の5.4%が95年には9.4%に,工業生産も4.7%から10.4%に上昇した。GDP,輸出額,社会商品小売総額,社会固定資産投資で全国第1位,工業生産額は第2位である。広東経済の高度成長の要因は,政府より各種の自主権を賦与され,対外開放への経済的特権を賦与された深圳,珠海,汕頭などの経済特区・開発区や開放地帯をかかえたこと,そして隣接する香港からそして香港を通じて海外から資本と技術を大量に導入して輸出主導型経済を発展させたことである。輸出は84年に外国貿易管理権が地方に多く移管されて急増した。95年の輸出額は565.9億ドル,輸入額は473.8億ドルで,それぞれ全国の38%,35.9%を占めている。輸出の急増の背景には低賃金で豊富な労働力を求めて香港から広東に生産拠点が移転したことがあり,香港からの委託加工工場は5万社以上,外資系企業は1万社以上で,300万人以上の労働者が雇用されている。広東省のGNPの1/4が輸出により,設備投資の1/3は海外からの投資で,輸出額の45.5%を外資系企業が担っている。香港の輸出産業である繊維製品,靴・鞄,玩具,時計,電気製品の70~80%が広東省での生産と推定される。1979年に深圳,珠海,汕頭が経済特区に指定され,84年広州市が沿海開放都市に,85年には珠江三角州地域が沿海経済開放地帯に指定された。さらに88年には経済開放区は広東省の約半分の地域に拡大され,香港など外資系企業の進出先は大きく広がり,投資は加速された。

 交通手段のうち,水上交通の占める比重が比較的大きい。広州,湛江,汕頭が海運の中心で,広州(黄浦)港の呑吐量は78年から95年に7倍に急増し,全国第3位である。内河航道は1万0857kmに達し,珠江が大動脈で,航路は珠江三角州で縦横に発達している。鉄道網は貧弱で,京広(北京~広州),広九(広州~九竜),黎湛(黎溏~湛江),広三(広州~三水),三茂(三水~茂名),広梅汕(広州~恵州間のみ開業),京九(北京~九竜,1997年正式開業)だけで,現在,広州~梅州~汕頭間,陽春~陽江間,広州~珠海間,恵州~汕尾間で鉄道が建設中または建設が予定されている。道路網は省内各地を結んで比較的発達しており,最も重要な幹線は京深(北京~深圳)〈国道107号〉である。近年,広州~深圳間など珠江三角州で高速道路の整備が香港資本の投資で進められている。広州を中国南部の航空交通の要で,国内主要都市を結んで路線網が発達し,また大阪,マニラ,バンコク,メルボルン,アムステルダムなどへ国際路線が開設されている。
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