黄海道(読み)こうかいどう(英語表記)Hwanghae-do

精選版 日本国語大辞典 「黄海道」の意味・読み・例文・類語

こうかい‐どう クヮウカイダウ【黄海道】

李氏朝鮮ころ、朝鮮半島中北部の黄海に面した地方に置かれた道。朝鮮八道の一つ。漢代は楽浪郡、のち高句麗(こうくり)に属し、李氏朝鮮の初期には豊海道と称した。現在は南北両道に分かれる。

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改訂新版 世界大百科事典 「黄海道」の意味・わかりやすい解説

黄海道 (こうかいどう)
Hwanghae-do

朝鮮半島中西部の地方。朝鮮八道の一つである。独立後,朝鮮民主主義人民共和国に属し,行政的には載寧江を境に,東を黄海北道(道都沙里院),西を黄海南道(道都海州)に分割されている。

北東から南西方向へ走る彦真,滅悪二つの山脈は北部こそ1000mほどの高さをもつが,大部分は500m以下の残丘性の山地を連ねている。山脈の北部には楽浪準平原に続く広い載寧江流域平野があり,南部にも京畿湾に沿って延白平野が展開している。滅悪山脈の先端にあたる甕津(おうしん)半島は複雑な海岸線をもつ沈降海岸を形成し,前面海上には白翎島などいくつかの島が散在している。海岸は5~6mの潮差があり,広い干潟地が発達している。

3世紀初めの後漢末年(205)から約110年間帯方郡が置かれた。314年には高句麗が楽浪郡と前後して帯方郡をほろぼし,三国時代には高句麗の最南前線としてしばしば戦場となった。統一新羅時代にはその最北地帯だったが,次の高麗王朝は国境を鴨緑江まで押し上げ,本道には西海道を置いた。李朝初期には豊海道と呼ばれたが,のちに黄海道の名が定着した。広い平野に恵まれ,純農村地帯であったが,日本植民地時代末に北部の山地に産する鉄鉱と大同江岸の石炭を背景に金属工業が開発され,松林を中心に工業化が進んだ。

載寧・延白両平野は朝鮮民主主義人民共和国の穀倉とされる米作地帯である。沙里院,黄州の緩傾斜の丘陵地はナシ,リンゴなどの大規模な果樹園が造成されている。ごく一部を除き,低平な耕地適地が広く,気温,水利などにも比較的恵まれた本道は共和国の重要な農業地帯となっている。北東部の谷山,遂安は金,タングステンなどの希少鉱物や石灰石が,また殷栗地方には鉄鉱が豊富に埋蔵され,地元の沙里院,松林そして平壌へ運ばれて鉄,非鉄金属,セメントなどの工業を発達させている。甕津半島から京畿湾沿いに広くみられる干潟地では塩田,ノリ,貝類の養殖漁業が盛んである。海州は従来から軍港として軍事上重要な位置を占めているが,グチ,フグなど黄海漁業の基地にもなっている。
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