麦塚村(読み)むぎづかむら

日本歴史地名大系 「麦塚村」の解説

麦塚村
むぎづかむら

[現在地名]越谷市蒲生南町がもうみなみちよう伊原いはら二丁目・川柳町かわやなぎちようなど

伊原村の東に位置し、南は青柳あおやぎ(現草加市)、東は柿木かきのき(現同上)。集落は葛西かさい用水八条はちじよう用水の間に点在。田園簿に村名がみえ、高は田方四一二石余・畑方七二石余、幕府領見田方みたかた村と同じく寛文三年(一六六三)忍藩領となり、幕末に至る。「風土記稿」によると検地は寛永四年(一六二七)

麦塚村
むぎつかむら

[現在地名]裾野市麦塚

平松ひらまつ新田南東に位置し、南西伊豆島田いずしまだ村、東は伊豆国君沢くんたく伊豆佐野いずさの(現三島市)。寛永九年(一六三二)徳川忠長改易後の領主変遷佐野村に同じ。寛永改高附帳では田高一一五石余・畑高四六石余。元禄郷帳では高一八八石余。慶応四年(一八六八)村差出帳(勝又家文書)によると、田方一二町九反余(一六〇石余)、畑方八町九反余(五二石余)で、山役米五斗を納めている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

今日のキーワード

発見学習

発見という行為の習得を目指す学習。または,発見という行為を通じて学習内容を習得することを目指す学習。発見学習への着想は多くの教育理論に認められるが,一般には,ジェローム・S.ブルーナーが『教育の過程』...

発見学習の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android