鹿鳴越(読み)かなごえ

日本歴史地名大系 「鹿鳴越」の解説

鹿鳴越
かなごえ

山香町と日出ひじ町の境、唐木からき山を主峰とする鹿鳴越山塊にある峠。標高約五六六メートル。鹿越・金越とも記した。東鹿鳴越峠と西鹿鳴越峠の二峠がある。峠の南側(日出町側)には戦国期、城が築かれていてたびたび合戦があった(日出町の→鹿越城跡近世の豊前道の一つの道筋は府内から浜脇はまわき石垣いしがき(現別府市)を通り、頭成かしらなり辻間つじま(現日出町)から鹿鳴越を通って立石たていし平山ひらやまに至り、宇佐方面へ向かう。江戸中期頃までは西鹿鳴越峠が主道で、辻間より日指ひさし常盤ときわで西鹿鳴越峠を越えて、久木野尾くぎのお槍原うつけばる立石上村楠原くすのきばるを経て立石町に至った。日出藩二代藩主木下俊治は鹿鳴越山中で冬期に凍死する者があるのを憂い、慶安年中(一六四八―五二)に民家三戸を峠に移し、旅人の救護と急用飛脚に従事させた(「小山作兵衛聞書」関家文書)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報