速見郡(読み)はやみぐん

日本歴史地名大系 「速見郡」の解説

速見郡
はやみぐん

面積:二一六・八八平方キロ
山香やまが町・日出ひじ

現在の速見郡は二町からなるが、近世の郡域は現杵築きつき市・別府市および大分郡湯布院ゆふいん町を含み、北は国東くにさき郡、東は別府湾、南は大分郡、西は玖珠くす郡および豊前国宇佐郡に接していた。

〔原始〕

別府湾を望む一帯に展開する当郡では旧石器時代から人々の生活の足跡を確認することができる。まず注目されるのが日出町早水台そうずだい遺跡で、ローム層下の石英脈岩、石英粗面岩を素材とした石器が前期旧石器として提起され、いわゆる前期旧石器論争の舞台となった。しかし早水台遺跡の中核をなすのは縄文時代早期の遺構と遺物である。ここで出土した尖底押型文土器は早水台式土器として標式土器の一つとなっている。山香町川原田かわはらだ洞穴遺跡、別府市小畑原おばたばる遺跡・野田のだ遺跡、杵築市稲荷山いなりやま遺跡も早期の代表的遺跡である。有舌尖頭器と土器が共伴した山香町目久保めくぼ遺跡は旧石器時代から縄文時代への転換期の注目すべき遺跡であった。後期の遺跡としては鐘ヶ崎式土器の時期の竪穴住居が発掘された別府市羽室はむろ遺跡・実相寺春木じつそうじはるき遺跡のほか日出町橋詰はしづめ遺跡、杵築市ひがし貝塚などが知られる。弥生時代では中期の住居跡や小児用埋葬遺構を出土した日出町成田尾なりたお遺跡、中期末―後期初頭の土器を出土した同町大津おおづ遺跡などがある。大津遺跡からは二本の銅戈が発見されている。また日出町真那井の浮島まないのうきしま神社には七本の広型銅鉾が所蔵されていた。杵築市新宮寺しんぐうじ遺跡では細型銅剣が出土している。古墳時代に至ると遺跡の数が飛躍的に増加する。とくに注目されるのは近年確認された杵築市狩宿かりしゆく御塔山おとうやま古墳(円墳、造出しあり)小熊山こぐまやま古墳(前方後円墳)である。御塔山古墳は径八〇メートルに達する円墳であり、小熊山古墳は全長一二〇メートルという県下最大級の前方後円墳である。採集された埴輪などからみて御塔山古墳は五世紀前半、小熊山古墳はこれよりさらに古く四世紀末にさかのぼるとみられている。その立地からおそらくこの地方の海人集団の首長の墓と考えられる。両古墳の墳頂部からははるか別府湾越しに大分市東部・佐賀関さがのせき半島を眺望できるが、そこには小熊山古墳とともに県下最大級の前方後円墳として知られる大分市亀塚かめづか古墳はじめ、佐賀関町築山つきやま古墳・馬場ばば古墳などの前方後円墳が分布する。これらを合せて豊後地方における海部勢力の首長層の動向を知ることができるはずである。後期の古墳は郡内に広範に分布する。とくに多くの古墳が集中するのは杵築市域である。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報