鬼北(読み)おにきた

精選版 日本国語大辞典 「鬼北」の意味・読み・例文・類語

おに‐きた【鬼北】

〘名〙 丑寅(うしとら)、すなわち北東から吹く風。二月の風。畿内中国地方船人の語。〔物類称呼(1775)〕

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改訂新版 世界大百科事典 「鬼北」の意味・わかりやすい解説

鬼北[町] (きほく)

愛媛県南西部,北宇和郡の町。2005年1月広見(ひろみ)町と日吉(ひよし)村が合体して成立した。人口1万1633(2010)。

鬼北町東部の旧村。北宇和郡所属。人口1933(2000)。四万十(しまんと)川の支流広見川の最上流域に位置し,標高900~1000m級の山々に囲まれる。村域のほとんどが山林で,近世,吉田藩領時代には〈山奥〉と呼ばれた地域である。南と東は高知県に接する。江戸時代は日向谷(ひゆうがい)などで製紙業が盛んであったが,1792年(寛政4)吉田藩が紙の専売制を施行したことをきっかけに,翌年大規模な一揆がおこった。中心となった武左衛門は上大野の出身で,一揆は吉田騒動,武左衛門一揆と呼ばれる。下鍵山は国境近くの交通の要地で,番所が置かれていたが,現在も国道197号線と320号線の接点で,村の中心集落である。農林業が中心で,栗やシイタケの栽培,養蚕,和牛飼育などが行われる。なお下鍵山の明星ヶ丘は与謝野晶子命名で,1922年井谷正吉の指導により愛媛県最初のメーデーが開かれたところ。武左衛門の記念碑もある。

鬼北町西部の旧町。北宇和郡所属。人口1万1147(2000)。周囲を山に囲まれ,鬼ヶ城連峰の北に開けた鬼北盆地に位置する町で,四万十川に合流する広見川が支流を集めて中央を流れ,三間(みま)川を合わせて松野町に入る。江戸時代は大部分宇和島藩領で,広見川上流部の村々は吉田藩領であった。山村では紙すきが盛んであったが,1793年(寛政5)吉田藩の統制に抗して起こった武左衛門一揆は当町域をもまき込んだ。盆地中央の近永(ちかなが)には宇和島藩の代官所があった。農林業が中心で,現在は米作のほか,養蚕,酪農や栗,シイタケの栽培などが行われ,良質の松,杉,ヒノキ材も産する。南西部の成川(なるかわ)渓谷は桜,紅葉の名所で足摺宇和海国立公園に含まれ,成川温泉もある。この町を中心に北宇和地方に伝わる伊予神楽は国の重要無形民俗文化財。また出目(いずめ)には鬼北文楽が伝わる。小松にある曹洞宗善光寺の薬師堂は重要文化財。三間川沿いにJR予土線,広見川沿いに国道320号線が通じる。
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