高車(読み)コウシャ

デジタル大辞泉 「高車」の意味・読み・例文・類語

こうしゃ〔カウシヤ〕【高車】

中国南北朝時代のトルコ系北方遊牧民族。485年ごろ、中国北西部ジュンガル盆地建国、546年、突厥とっけつに滅ぼされた。

出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例

精選版 日本国語大辞典 「高車」の意味・読み・例文・類語

こう‐しゃ カウ‥【高車】

〘名〙
天蓋が高く、立ったまま乗ることができる車。
経国集(827)一〇・和良将軍題瀑布下蘭若簡清大夫之作〈嵯峨天皇〉「瀑布一辺一山寺。高車訪道遠追尋」 〔釈名‐釈車〕
② 中国、南北朝時代の北方異民族の一つ。トルコ系遊牧民族。丁零(ていれい)の後裔。四八五年頃中国の西北部、現在のジュンガル盆地に建国。五四六年突厥に併合された。高車丁零

出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ) 「高車」の意味・わかりやすい解説

高車
こうしゃ

中国、南北朝期に現れたトルコ系北方遊牧民族。その名は、彼らが高輪の車を使用したことに由来した中国の呼称である。漢代にはバイカル湖以北のアンガラ、エニセイ両川上流の間に住んでいた丁零(ていれい)族が、やがて一部は中原(ちゅうげん)に、一部は漠北(ばくほく)に南下移住し、オルホン川、トーラ川周辺の6種、セレンガ川からアルタイ山脈にかけての12族などが集落単位で分散居住していた。漠北の集落群は高車、勅勒(ちょくろく)とよばれ、5世紀初めには柔然(じゅうぜん)に服属していたが、北魏(ほくぎ)の遠征を受け、ふたたびかなりの集落が中国内地へ移住させられた。しかし漠北に残った集落群は5世紀末、阿伏至羅(あふくしら)に率いられ、アルタイ山脈以西へ移り、独立国家を樹立した。その国は南北に分かれて統治され、北は阿伏至羅が、南はその従弟の窮奇(きゅうき)が治め、さらにオアシス諸国家をも支配して、東では柔然と、西ではエフタルと対峙(たいじ)し、北魏とも通交した。しかし、エフタルの勢力伸張に伴い、その圧力を受けた。6世紀初めには柔然に破られ、国王は殺され、国民はエフタルに投降した。のちエフタルの援助で再興したが、ふたたび柔然に敗れ、ついに546年、突厥(とっけつ)に敗れ、併合された。唐代の薛延陀(せつえんだ)、回紇(かいこつ)は彼らの後裔(こうえい)とされている。

片桐 功]

『護雅夫訳注「高車伝」(『騎馬民族史Ⅰ』所収・平凡社・東洋文庫)』


出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

改訂新版 世界大百科事典 「高車」の意味・わかりやすい解説

高車 (こうしゃ)
Gāo chē

古代トルコ系遊牧民。丁零の後裔の連合体で,正しくは高車丁零という。匈奴治下からしだいに南下し,3世紀の鮮卑分裂後モンゴリアに勢力をのばしたが政治的統一は弱く,5世紀初めにはほとんど柔然に服属した。その後5世紀末に西走してジュンガル盆地に独立政権を築き,トゥルファン盆地の農耕国高昌をあやつった。6世紀初めエフタル東進によって崩壊したが,再び柔然に従った彼らの後裔が鉄勒諸部の一部分となった。
執筆者:

出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

山川 世界史小辞典 改訂新版 「高車」の解説

高車(こうしゃ)
Gaoche

4~6世紀,北アジアにいたトルコ系部族。高輪の車を用いたのでこう呼ばれたという。丁零(ていれい)の後身で,高車丁零ともいわれた。初めセレンゲ川流域にいて柔然(じゅうぜん)に服属していたが,485~486年頃アルタイ山脈の西に移動してジュンガリアに独立国を建て,高昌などのオアシス都市国家を支配し,柔然と対立して北魏と通交した。6世紀,南北朝後半期から隋初にこの方面にいた鉄勒(てつろく)はその後身である。

出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「高車」の意味・わかりやすい解説

高車
こうしゃ
Gao-che; Kao-ch`ê

4~5世紀,北アジアに遊牧したチュルク系民族。高輪の車を用いたのでこう呼ばれた。丁零 (ていれい) の後身で,「高車丁零」とも称された。初め柔然に服属していたが,485~486年頃その一部族である副伏羅部の族長阿伏至羅が柔然にそむき,高車諸部族を率いてアルタイ山脈の西方に独立国 (高車国) を建てた。高昌国などのオアシス都市国家を支配し,柔然と対立して北魏と通交した。隋代にこの地域にいた鉄勒はその後裔。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

旺文社世界史事典 三訂版 「高車」の解説

高車
こうしゃ

南北朝時代,ジュンガリアにあったトルコ系の部族および国
トルコ系丁零の後身で,初めモンゴル高原東部のセレンガ川流域にいて柔然に服属していたが,5世紀末に西遷してジュンガリアに独立の国家を建設。高輪の車を駆使していたところから,高車と呼ばれた。6世紀になって高車は突厥に敗れた。隋代にこの地域にいた鉄勒諸部には,高車の流れをくむものが多いと考えられる。

出典 旺文社世界史事典 三訂版旺文社世界史事典 三訂版について 情報

普及版 字通 「高車」の読み・字形・画数・意味

【高車】こうしや

大車。

字通「高」の項目を見る

出典 平凡社「普及版 字通」普及版 字通について 情報

世界大百科事典(旧版)内の高車の言及

【トルコ族】より

…すなわち,トルコ系諸民族が,その現住地に居住するにいたるまでには,〈移動〉〈征服〉を中心にくりひろげられた彼らの長い歴史があり,その意味では,トルコ民族史は,トルコ系諸民族の移動と征服活動の歴史であったともいえる(図)。
[丁零と高車]
 トルコ系諸民族がもともとどこに居住していたか,彼らの原住地がどこであったかという問題については,現在なお定説がない。原住地を,少なくともウラル山脈以東の草原地帯に求める説が有力ではあるが,ウラル以西にも古くからトルコ系諸民族の活動が見られたとする説もあって,なお一定しない。…

※「高車」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

今日のキーワード

焦土作戦

敵対的買収に対する防衛策のひとつ。買収対象となった企業が、重要な資産や事業部門を手放し、買収者にとっての成果を事前に減じ、魅力を失わせる方法である。侵入してきた外敵に武器や食料を与えないように、事前に...

焦土作戦の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android