突厥(読み)とっけつ(英語表記)Tū jué

精選版 日本国語大辞典 「突厥」の意味・読み・例文・類語

とっけつ【突厥】

六世紀中頃から、約二世紀間、モンゴル高原中央アジアを支配したトルコ系遊牧部族と、その国家。六世紀末、東西に分裂。東突厥モンゴル高原を支配し、六三〇年、唐に滅ぼされたが、七世紀末に再興、八世紀なかばに滅亡した。西突厥は中央アジアを支配し、七世紀中頃、唐に圧迫され、七世紀末に滅亡。
※書紀(720)天智即位前(北野本南北朝期訓)「突厥(トックツ)の王子(せしむ)契苾加力(けいひつかりょく)等と」

とっくつ【突厥】

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デジタル大辞泉 「突厥」の意味・読み・例文・類語

とっけつ【突×厥】

Türkの音写》6~8世紀にかけて、モンゴルから中央アジアを支配したトルコ系遊牧民族。また、その国。ササン朝ペルシアと協力してエフタルを滅ぼし大帝国となったが、583年には東西に分裂。モンゴル高原を支配した東突厥は、630年、の攻撃で滅び、中央アジアを支配した西突厥も唐に討たれ、7世紀末に滅亡。東突厥はその後一時復興したが、8世紀初めウイグルに討たれ滅亡。とっくつ。

とっくつ【突×厥】

とっけつ

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改訂新版 世界大百科事典 「突厥」の意味・わかりやすい解説

突厥 (とっくつ)
Tū jué

6~8世紀に北アジアを中心とし中央アジアをも支配したトルコ系部族およびそれを中心とする遊牧部族連合国家の名称。呼称はチュルクTürkの音訳で,〈とっけつ〉とも呼ばれる。その君主は可汗またはハガンカガンQaghanと呼ばれる。その下に小可汗(小ハガン),葉護(ヤブグ)などの諸侯がいて,支配階層を形成した。アルタイ山脈の南西麓にいた阿史那氏の族長土門(チュメンTümän)はジュンガリアの鉄勒諸部を服属させたのち,552年に柔然を倒して伊利(イルリグIllig)可汗(ブミンBumïn可汗)と称し,モンゴリアの遊牧騎馬民を統合する一方,弟の室点蜜(しつてんみつ)(イステミIstämi可汗,ビザンティン史料のシルジブロスSilziboulosまたはディザブロスDizaboulos)は,エフタルを滅ぼして(567)ソグディアナを手中にし,天山山脈中のユルドゥズ渓谷を本拠とする西面可汗として中央アジアを掌握した。土門の子,木杆(ムカン)可汗のとき柔然を滅亡させ(555),ついで吐谷渾(とよくこん),契丹,キルギスを併せ,ユチュケン山を本拠として発展をとげた。オアシス地帯と東西通商ルートを抑えた西面可汗の勢力にくらべると,モンゴリアの突厥は大可汗のほかに小可汗が分立し不安定であった。

 583年には西面可汗が独立して西突厥といわれ,のち射匱(しやき)可汗,トン・ヤブグ・ハガン(統葉護可汗)のころ最盛期を迎えた。西突厥は単に〈十姓〉〈十箭〉〈オン・オクOn Oq〉とも呼ばれ,それがイリ(伊犂)・天山北麓方面と天山西方方面とに分かれていたという。一方,東突厥の沙鉢略(イシバラIshbara)可汗(在位581-587)は隋の臣を称し,さらにモンゴリアやジュンガリアには鉄勒諸部が一時台頭した。隋末唐初の混乱期に乗じた東突厥は再び勢を得たが,ソグド人や中国人の重用をめぐる同族間の内紛,天災,鉄勒諸部の独立とその唐との連合により,630年に瓦解した。これまでをふつう突厥第一可汗(帝)国と呼ぶ。これ以後,突厥,ついで鉄勒諸部は巧みな離間政策に基づく唐の間接(羈縻(きび))支配を受けることになり,唐の勢力は7世紀半ばには中央アジアまで及んだ。この方面では西突厥十部の中から,7世紀末に突騎施トゥルギシュ)が独立し,8世紀初頭に西突厥は滅び,唐の支配も天山東部まで後退した。

 7世紀末,唐支配下の東突厥の間に自立の気運が高まり,682年,阿史那氏の骨咄禄(クトルクQutlugh)が陰山山脈に拠って中国北辺の唐勢力を破り,かつての本拠地ユチュケン山を回復して,北方鉄勒諸部を討って頡跌利施(イルティリシュIltirish)可汗(在位682-691)を称した。これ以後を突厥第二可汗(帝)国と呼ぶ。頡跌利施可汗の弟,黙啜(カプガンQapghan)可汗時代に,東は契丹,北はキルギス,西はビシュバリクのバスミルおよびイルティシュ川方面のトゥルギシュを討ち,さらに頡跌利施可汗の子ビルゲ・ハガンが直系を復活して弟の闕特勤キョル・テギンKöl Tegin。685-731)とともに,父の代からの功臣トニユククTonyuquq(阿史徳元珍)の助言を得ながら遊牧騎馬国家の復興を成し遂げた。彼らの功績は突厥碑文に残されている。しかしビルゲ・ハガン,キョル・テギン兄弟の死後1代おいて即位した登利(テングリTängri)可汗は,唐の玄宗皇帝を天可汗と呼んで,実質的にこれに臣従するなど国勢は衰え,内紛も続いた。こうしたおりにバスミル族,カルルクQarluq族とともに反乱をおこしたウイグル族の長,骨力裴羅(クトルク・ボイラQutlugh Boyla)が744年に可汗を称するにいたって突厥の国家は崩壊した。
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突厥 (とっけつ)

突厥(とっくつ)

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百科事典マイペディア 「突厥」の意味・わかりやすい解説

突厥【とっくつ】

6世紀中ごろから約200年モンゴリア・中央アジアを支配したトルコ系部族とその遊牧国家。〈とっけつ〉とも。チュルクの複数形チュルキュトの音訳。アルタイ山脈の南西に興り,柔然に代わってジュンガリア以北を支配したが,6世紀後半東西に分裂し,東突厥は630年に服属,8世紀中ごろウイグルに滅ぼされ,西突厥は8世紀初頭に唐に服属した。突厥文字で刻まれた突厥碑文(オルホン碑文)やソグド文字の碑文が残されている。
→関連項目エフタルキルギスシベリア貞観の治ゼマルコスハーンハンガイ[山脈]

突厥【とっけつ】

突厥(とっくつ)

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「突厥」の解説

突厥(とっけつ)
Tujue

552~744

「とっくつ」ともいう。テュルク(Türk, Türük)の漢字音写。モンゴリア,中央アジアに建てられたトルコ族の国家。支配氏族は阿史那(あしな)氏で,狼を始祖とする説話を持つ。アルタイ山脈の西南から興って柔然(じゅうぜん)を滅ぼしたが,内紛と隋の離間政策のため東西に分裂した(583年)。東突厥はウチュケン山(ハンガイ山脈地域)とオルホン川流域を本拠としてモンゴリアを支配して強盛を誇り,唐もその建国初期には援助をうるほどであったが,唐の征討を受けて瓦解した(630年,以上突厥第一可汗(カガン)国)。主に内モンゴルで唐の羈縻(きび)支配を受けていた東突厥は,約50年後に復興して(682年),再びモンゴリアを支配した。特にビルゲ・カガンは,弟のキョル・テギン,名相トゥニュククに助けられ,唐と友好関係を保ったが,その死後内紛が起こりウイグルに滅ぼされた(突厥第二可汗国)。西突厥は中央アジアを支配したが,両部に分裂して互いに争い,唐はこの間に,伊州(哈密(ハミ)),西州(トゥルファン),庭州(ジムサ)などの州県を置いた。そののち一時統一されたが,唐はこれを討ち(657年),二人のカガンを立てて統制した。7世紀末にテュルギシュが興ってこの2カガンを追い,ここに西突厥は滅亡した。東突厥は第二可汗国時期に北アジアの遊牧民族としてはじめて文字(突厥文字)を用いて年代表示のある自身の記録を残した。第一可汗国時代からソグド人と関係が深く,仏教も一時上層で行われた。

突厥(とっくつ)

突厥(とっけつ)

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「突厥」の意味・わかりやすい解説

突厥
とっけつ
Tu-jue; T`u-chüeh; Türk

6世紀中頃から8世紀中頃まで,モンゴル,中央アジアを支配したチュルク族阿史那 (あしな) 氏の建てた遊牧国家。もとは柔然の支配下にあったが,阿史那氏に土門 (→伊利可汗 ) が出るに及んで強大となり,鉄勒諸部を従え柔然から独立した (552) 。第3代の木杆可汗 (もくかんかがん) にいたり柔然を滅ぼし,契丹,キルギスを破り,また西方ではエフタルをも破った。突厥の国家は中央部を大カガンが支配するほか,多くの小カガンが分立していたが,583年西部を支配した西面可汗達頭 (たっとう) は大カガンから独立し,突厥は東西に分裂した。東突厥はしばらく強勢を誇ったが,その支配下にあった鉄勒諸部の反乱を受け,630年唐に帰付して一時消滅し,西突厥も7世紀の末に内紛で滅んだ。東突厥は7世紀末に阿史那骨咄禄 (あしなこっとつろく) が出て復興し,みずからイルテリシュ・カガンと称した。以後数代にわたってモンゴルを支配したが,内紛を生じ,744年鉄勒の一部ウイグルに滅ぼされた。

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旺文社世界史事典 三訂版 「突厥」の解説

突厥
とっけつ
Türküt

6〜8世紀にモンゴル・中央アジアに建国したトルコ族およびその国家名
初め柔然 (じゆうぜん) に仕えて製鉄に従事していたが,族長土門が柔然を破って552年に独立。隋はその勢力増大を恐れて内部離間策を講じたので,6世紀末に東西に分裂して抗争した。その後,隋の衰えに乗じて勢力を回復し,特に東突厥は7世紀初めに最盛期に達した。しかし,唐の攻撃と内紛のため,630年に唐に服属し,西突厥も唐に滅ぼされた。679年東突厥は独立を回復したが,王(可汗)が暗殺されて統一は乱れ,744年ウイグルに滅ぼされた。

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