高橋春圃(読み)たかはししゅんぽ

精選版 日本国語大辞典 「高橋春圃」の意味・読み・例文・類語

たかはし‐しゅんぽ【高橋春圃】

江戸末期の蘭方医肥後国熊本県)の人。名は正家、号は桃湲。日野鼎哉・竹内玄洞に師事して蘭語蘭医学を学ぶ。肥後種痘法を伝えた。文化二~明治元年一八〇五‐六八

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「高橋春圃」の意味・わかりやすい解説

高橋春圃
たかはししゅんぽ
(1805―1868)

幕末期の蘭方(らんぽう)医。熊本藩医。肥後(ひご)国阿蘇(あそ)郡の生まれ。名は叶、号は桃渓。天保(てんぽう)(1830~1844)の初め肥後へきた京都の日野鼎哉(ていさい)に出会ったのを機に洋方を志し、長崎へ出て、数年間竹内玄同に師事、帰国後開業した。嘉永(かえい)(1848~1854)の初め、長崎の商館医モーニケから痘苗を得て郷里種痘法を広めた。有徳の士として知られ、江戸・長崎へしばしば赴き、諸家より新知見を求めた。子の正純(1835―1891)・正直(1843―1921)ともに名医とうたわれた。後年、1928年(昭和3)従(じゅ)五位を贈られた。

[末中哲夫]

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「高橋春圃」の解説

高橋春圃 たかはし-しゅんぽ

1805-1868 江戸時代後期の医師
文化2年生まれ。肥後熊本藩医。はじめ漢方医学をおさめ,のち長崎で西洋医学をまなぶ。嘉永(かえい)2年オランダ人医師モーニケから種痘法をまなび,熊本ではじめて種痘をおこない,その普及につとめた。慶応4年4月17日死去。64歳。名は叶,正家。号は桃渓。

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