飯野城跡(読み)いいのじようあと

日本歴史地名大系 「飯野城跡」の解説

飯野城跡
いいのじようあと

[現在地名]えびの市原田

川内せんだい川北岸、字城内じようないにある。背後にあたる北方には城山(七〇六・五メートル)がある。亀箇城・鶴亀つるかめ城ともいう。築城の時期は不明だが日下部氏真幸氏・北原氏など、古来真幸まさき院の領主は皆当城を治所としたという(三国名勝図会)。文明六年三州処々領主記(都城島津家文書)には「北原持城」として飯野が記され、弘治三年(一五五七)一一月二二日の飯野剣大明神本仏裏書(旧記雑録)には飯野城主北原民部少輔の名がみえる。永禄五年(一五六二)の春、伊東義祐は娘婿北原兼守死後の北原氏内訌に介入、同氏領の真幸院地方を支配下に入れた。北原氏一族の兼親は肥後相良氏を頼り、島津貴久も兼親の北原惣領継承を支持した。これにより相良氏らは馬関田まんがた城を攻撃、五月に入ると徳満とくみつ城主北原八郎右衛門らも兼親に応じたので同月一〇日兼親は飯野城に入った。

飯野城跡
いいのじようあと

[現在地名]板倉町飯野

飯野の集落南部にあり、北・東・南は低湿地である。東西約二〇〇メートル、南北約一七〇メートルで、西側の堀が一部残る。館林に属した淵名上野介の居城である。「北越軍記」に永禄三年(一五六〇)上杉景虎(謙信)飯野城を屠るとある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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