集成館跡(読み)しゆうせいかんあと

日本歴史地名大系 「集成館跡」の解説

集成館跡
しゆうせいかんあと

[現在地名]鹿児島市吉野町 磯

いそ街道と国道一〇号の合流点にある。旧集成館として国指定史跡。嘉永五年(一八五二)島津斉彬が創設した反射炉、安政元年(一八五四)に完成した溶鉱炉や翌二年に建設したガラス製造工場など当地一帯につくられた工場群の総称で、安政四年に斉彬が命名した。文久三年(一八六三)薩英戦争大部分が焼失したが、次の藩主島津忠義が再興した。現存する建物は元治元年(一八六四)に着工され、翌慶応元年(一八六五)に完成した洋式石造建築で、日本最初の本格的工場建築とされる。国指定重要文化財。元来蒸気機械所で、蒸気機関が置かれていた。建築材は小野石が使われ、ストーン・ホームとよばれた。設計はイギリス人ウォートルスらと伝え、屋根は瓦葺、西洋風の合掌造。窓は上をアーチ型とし、外部に鋳鉄製格子をはめ、上げ下げ窓になっている。

集成館跡
しゆうせいかんあと

[現在地名]臼杵市臼杵 祇園東

臼杵藩の藩校跡。享和元年(一八〇一)臼杵城三の丸に建てられた評定所を学問所とし、藩士武藤東里や桐生朝陽が子弟教育に当たったことに始まる。評定所の使用を許されたのは家中・侍中・医師とその嫡子、中小姓以下の有志の者であった。一三代藩主稲葉幾通は藩政の改革を推進し、文武両道奨励武藤虎峰稲葉大壑を江戸に遊学させた。天保一三年(一八四二)藩士子弟の教育を目的とし藩校学古がつこ館が設立され、江戸遊学で折衷学を学んだ虎峰と大壑を教授とした。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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