関和久官衙遺跡(読み)せきわぐかんがいせき

日本歴史地名大系 「関和久官衙遺跡」の解説

関和久官衙遺跡
せきわぐかんがいせき

[現在地名]泉崎村関和久 明池・中宿、北平山 古寺山寺・越田

標高三〇五メートル前後の阿武隈川左岸段丘面上に位置し、東部から南部にかけては水田部で、北部から西部西方から延びてきた丘陵先端部となる。八世紀初頭から一一世紀頃まで存続した白河郡家跡といわれる。遺跡は東西約二六〇メートル・南北約四六〇メートルの広大なものである。昭和四七年(一九七二)から同五六年までの調査によって、遺跡の外郭は幅三メートルの溝で区画され、南三分の一の位置を東西に横断する水路によって南と北とに区分されることが判明した。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

国指定史跡ガイド 「関和久官衙遺跡」の解説

せきわくかんがいせき【関和久官衙遺跡】


白河官衙遺跡群(しらかわかんがいせきぐん)

出典 講談社国指定史跡ガイドについて 情報