鏡野(読み)かがみの

改訂新版 世界大百科事典 「鏡野」の意味・わかりやすい解説

鏡野[町] (かがみの)

岡山県北部,苫田(とまた)郡の町。2005年3月奥津(おくつ)町,旧鏡野町と上斎原(かみさいばら)村,富(とみ)村が合体して成立した。人口1万3580(2010)。

鏡野町中部の旧町。苫田郡所属。人口1841(2000)。吉井川上流の山間地に位置し,谷底水田があるほかにすべて山林で,かつては山地を牛の放牧地に利用したが,今日では植林が進んでいる。奥津温泉(単純泉,40~43℃)は湯原,湯郷(ゆのごう)とともに古代から美作三湯(みまさかさんとう)として知られる。女性が《奥津音頭》に合わせて足踏み洗濯をする風習があり名物になっている。温泉下流には奥津渓(名)があり,この一帯は真庭市の旧湯原町にまたがって湯原奥津県立自然公園に指定されている。北へ国道179号線をたどれば鳥取県境の人形峠に至る。町域南端部には洪水調節など多目的の苫田ダムが完成した。
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鏡野町南東部の旧町。苫田郡所属。人口1万1451(2000)。吉井川と支流香々美川流域に位置する。津山盆地の北西部に当たる町域南部の平野は6~7世紀に〈鏡作部〉によって開拓された地とされ,中世には西香美本荘,大野荘が置かれた。また香々美新町は近世津山藩倉吉往来の要地に設けた計画的宿場町であった。現在は農業が基幹産業で,肥沃な平野部では米作のほか,ビール麦や野菜の栽培が行われ,北部山間地では中国山地の準平原面を利用して肉牛飼育が盛ん。中央部の男(おん)山,女(めん)山には玄武岩の柱状節理がみられる。国道179号線が通じる。

鏡野町北部の旧村。苫田郡所属。人口948(2000)。吉井川源流域の中国山地脊梁部に位置し,最も低い所でも標高500mの高地にある。吉井川の河谷沿いに点在する赤和瀬,中津河,遠藤,木路などの集落はかつての鉱山集落や木地屋集落である。中心集落は上斎原で,南隣の旧奥津町の下斎原と対する。林業牧畜を基幹産業とし,夏季に高清水・恩原高原に放牧する輪換放牧が行われる。また栗の集団栽培も盛ん。鳥取県境の人形峠には動力炉・核燃料開発事業団のウラン鉱山があったが,現在は独立行政法人・日本原子力研究開発機構の人形峠環境技術センターで研究が行われている。高清水・恩原高原はキャンプ場やスキー場に適した観光地として注目され,恩原湖畔には青少年旅行村が開設されている。吉井川に沿って国道179号線が通る。

鏡野町西部の旧村。苫田郡所属。人口851(2000)。中国山地脊梁部の山地にあって,旭川支流の目木川,余川が南流する。古くから林業と和牛生産が盛んな地であるが,近年は乳牛の飼育も盛んになっている。人口流出が激しく,過疎化対策として1976年より自然休養村として整備され,施設が建設された。森江家住宅は江戸時代中期の山村の代表的な大百姓建築として重要文化財に指定されている。カワセミの1種ヤマセミの生息地である。
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