銀村(読み)しろがねむら

日本歴史地名大系 「銀村」の解説

銀村
しろがねむら

[現在地名]浪岡町銀

梵珠ぼんじゆ山系より南下した丘陵南端にあり、東は松枝まつえだ村、西は富柳とみやなぎ(現常盤村)、北はすぎ村に接する。

浪岡北畠氏の将吉町弥右衛門の館があったといい(津軽一統志)、館跡は東方丘陵に想定されている(野沢村誌)。「永禄日記」元亀四年(一五七三)二月に「杉白銀吉町殿橋普請、当年始而橋懸候」とあり、天正一〇年(一五八二)には「白銀へ罷越」とある。「青森県租税誌」によれば、宝永元年(一七〇四)杉村より分村とあるが、「吉野田八幡宮神官長利家系譜・椙羽太路」では杉村を銀村の派立としている。

正保二年(一六四五)の津軽知行高之帳の田舎いなか郡に銀村とあり、高三五石、うち田方三二・〇五石とある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報