釜石村(読み)かまいしむら

日本歴史地名大系 「釜石村」の解説

釜石村
かまいしむら

[現在地名]釜石市只越町ただこえちよう一―三丁目・天神町てんじんちよう大只越町おおただこえちよう一―二丁目・大町おおまち一―三丁目・大渡町おおわたりちよう一―三丁目・浜町はまちよう一―三丁目・魚河岸うおがし東前町ひがしまえちよう新浜町しんはまちよう一―二丁目・港町みなとまち一―二丁目・松原町まつばらちよう一―三丁目・嬉石町うれいしちよう一―三丁目・大平町おおだいらちよう一―四丁目・鈴子町すずこちよう駒木町こまぎちよう千鳥町ちどりちよう一―二丁目・中妻町なかづまちよう一―三丁目・八雲町やぐもちよう上中島町かみなかしまちよう一―四丁目・源太沢町げんたさわちよう一―二丁目・住吉町すみよしちよう新町しんまちなど

東流して釜石湾に注ぐ大渡川河口にある。東は釜石湊、西は甲子かつし村、南は平田へいた村、北は両石りよういし村。大渡川沿いに釜石街道が西に向かい、両石村から南下してきた浜街道が鳥谷とりや坂を越えて当村に入り、平田村に向かう。「三閉伊路程記」に「釜石は町屋作にてよき村也」とある。町並は鳥谷坂の下り口から始まり、町の中ほど右に石応禅せきおうぜん寺、東方小高い所に十分一役所があり、尾崎おさき神社御旅所、家一三軒の只越が続く(同書)。大渡川橋を渡ると道は二股となり、左は浜街道平田道、右は釜石街道。石応禅寺境内に釜石地内で発掘された徳治三年(一三〇八)六月二五日銘の石碑があり、すでに鎌倉期当地に集落の発達していたことを物語っている。

釜石村
かまいしむら

[現在地名]遠野市綾織町新里あやおりちようにつさと

新里村北西にあり、北はみさざき村。東西遠野街道が通り、南西方に花巻に向かう道が延びる。村の南側をさるいし川が西流する。寛永四年(一六二七)の南部利直知行宛行状(三翁昔語)によれば、釜石村の高九九石余が八戸弥六郎直義(遠野南部氏)知行地となった。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報