金森可重(読み)かなもり よししげ

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「金森可重」の解説

金森可重 かなもり-よししげ

1558-1615 織豊-江戸時代前期の大名
永禄(えいろく)元年生まれ。金森長近養子織田信長,豊臣秀吉,さらに徳川家康につかえて関ケ原戦いに功をたてる。慶長12年(1607)飛騨(ひだ)(岐阜県)高山藩主金森家2代となった。千道安に師事して茶道にもすぐれた。慶長20年閏(うるう)6月3日死去。58歳。美濃(みの)(岐阜県)出身本姓長屋。名は「ありしげ」ともよむ。

金森可重 かなもり-ありしげ

かなもり-よししげ

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「金森可重」の意味・わかりやすい解説

金森可重
かなもりよししげ

[生]永禄1(1558).美濃
[没]元和1(1615).閏6.3. 伏見
安土桃山時代の武将。長尾景重の子。金森長近の養子。出雲守。初め豊臣氏に仕え,のち徳川氏に仕え,関ヶ原の戦い大坂の陣活躍。飛騨高山城主。将軍秀忠の茶道師範となる。

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世界大百科事典(旧版)内の金森可重の言及

【金森氏】より

…近世大名。美濃土岐氏庶流定頼の子定近が,近江野洲郡金森に住し金森氏を称した。その子長近は織田信長・豊臣秀吉に仕え,1585年(天正13)飛驒を平定し翌年一国3万8700石をあてがわれる。関ヶ原の戦後,可重(よししげ)が安堵をうけ代々飛驒高山藩主。頼(よりとき)に至り1692年(元禄5)出羽上山に移され,5年後さらに移封されて美濃郡上(ぐじよう)郡八幡藩主。その孫頼錦(よりかね)は郡上一揆(金森騒動)の失政を問われ1758年(宝暦8)改易。…

【金森宗和】より

…江戸初期の茶匠。宗和流の祖。飛驒高山城主金森出雲守可重(よししげ)の長男として生まれる。名は重近。1614年(慶長19)所領の問題で父の怒りにふれて勘当をうけ,母を伴って京都に隠棲した。大徳寺の紹印伝双に参禅して剃髪,宗和と号した。近衛応山信尋,一条昭良をはじめ,鹿苑寺の鳳林承章,小堀遠州,片桐石州らの公武貴顕と親交した。俗に〈姫宗和〉といわれるのは,徹底した禅味中心の茶風を主張する宗旦の〈乞食宗旦〉(侘び宗旦)に対する呼称である。…

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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」