里甲制(読み)リコウセイ(英語表記)Lǐ jiǎ zhì

デジタル大辞泉 「里甲制」の意味・読み・例文・類語

りこう‐せい〔リカフ‐〕【里甲制】

中国、代から代初頭にかけて行われた地方村落の自治制度。1381年制定。110戸を1里とし、そのうち富裕な10戸を里長、残りの100戸を甲首戸として10戸ずつ10甲に分け、毎年輪番で1里長と10甲首の正役となり、租税徴収・治安維持などにあたった。

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改訂新版 世界大百科事典 「里甲制」の意味・わかりやすい解説

里甲制 (りこうせい)
Lǐ jiǎ zhì

中国,明および清初の郷村組織。明朝は建国後まもなく戸帖の制によって人民の戸籍を定めていったが,また当時江南地方で行われていた小黄冊図の法,すなわちほぼ100戸を1単位とする村落組織などを利用して農村の組織化をすすめた。そしてこれらの制度を整備,画一化して1381年(洪武14)全国的に実施されたのが賦役黄冊の編造と里甲制の制定であった。この制度は徭役負担の義務をもつ110戸を基準として1里を編成し,丁糧の多い富裕戸10戸を里長戸,残りの100戸を甲首戸とし,これを10戸ずつ10甲に分けた。そして里長1人,甲首10人が毎年輪番でその里のさまざまの役に当たり10年で1周した。なおこの里というのは郷村の場合で,都市では坊,郊外では廂(しよう)といった。

 里のさまざまの役というのは里甲正役といわれたが,この内容は第1に賦役黄冊の作成である。里長・甲首は租税・徭役賦課の基礎となる黄冊を10年ごとに作成しなければならなかった。第2は租税の徴収である。その年の役に当たる里長・甲首を見年といい,他のものを排年といったが,見年の里長・甲首にとって徴税はもっともたいせつな職務で,租税の滞納や逃亡戸が出れば,里長はその責任を問われ,不足額は連帯責任で立替払いをさせられた。第3は里内の治安維持である。里には高年有徳の人物をあてる里老人が置かれ,里民の教化や,里内の裁判をつかさどったが,里長は里老人に協力し補助することが義務づけられていた。第4は上供物料(宮廷政府で使用する各種物品)と公費地方官庁で必要とする各種雑費)の負担である。この負担は明の中ごろから増大しはじめ農民を苦しめたので,16世紀ごろから里甲銀として銀納化されていった。さらに一条鞭法施行にともなって,租税・徭役割当て・徴収の単位が里から県に移ったことなどにより,里甲制の重要性は減退していった。しかし清朝はこの制度をなお踏襲したが,地丁銀制の成立にともなって実施されなくなり,かわって順荘編里が行われるようになった。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「里甲制」の意味・わかりやすい解説

里甲制
りこうせい

中国、明(みん)・清(しん)時代に施行された農民支配の郷村組織(里は都市では坊、都市周辺では廂(しょう)とよばれた)。元(げん)末には各地に村落組織が存在したが、1381年全国一律に里甲制が施行された。地域的に隣接する土地所有者110戸ごとに一里を編成し、税役を負担しない戸は畸零(きれい)戸として里甲に付された。里内の富裕戸10戸を里長とし、残りの100戸を甲首戸として一甲10戸の10甲に分け、毎年一里長・10甲首を交替で里甲正役にあて、10年にして一周した。国家の税役はすべて里甲を単位として、里甲組織を通じて戸等に応じて割り当てられた。徭役(ようえき)には租税の徴収、治安の維持、人民の教化、国家や諸官庁の物品・費用の調達、賦役黄冊(ふえきこうさつ)の編造などの里甲正役のほか、各種官庁の行政・治安上の使役や駅伝その他からなる雑役とに分かれ、租税は両税法に基づき夏税・秋糧が徴収された。

 里甲制は、郷居地主の郷村における土地所有と、これに基づく共同体規制を掌握する地主権力を基盤として成立した。明中期以降、郷居地主は、郷紳地主の抑圧と佃戸(でんこ)の自立化による階級対立の激化によってしだいに没落し、里甲制機能も低下した。一方、15世紀以降税役の銀納化によって、税役は戸等によらず、直接人丁や田土に割り当てられるようになり、十段法や一条鞭法(いちじょうべんぽう)が成立した。この結果、税役は州・県を単位として割り当てられることとなり、里甲制の役割は著しく減少した。清初にも里甲制は形式的には存続したが、地丁銀の成立によって消滅した。

[鶴見尚弘]

『鶴見尚弘著『明代における郷村支配』(『岩波講座 世界歴史12』所収・1971・岩波書店)』

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「里甲制」の意味・わかりやすい解説

里甲制
りこうせい
Li-jia-zhi; Li-chia-chih

中国,明および清初の郷村統治組織。洪武 14 (1381) 年賦役黄冊の作成と同時に設定された。田土所有者 110戸をもって1里を編成し,そのうち人丁や税負担額の多い富裕な戸 10戸を里長とし,残りの 100戸を甲首として 10戸ずつ 10甲に分けた。そして毎年里長1人,甲首 10人が輪番で里甲正役といわれる役務にあたり,10年で一巡した。里甲正役の内容は賦役黄冊の作成,租税,力役の割当てと徴収,里内の治安維持などの重要なもので,このほかに上供物料 (宮廷や政府の用に供する物品) ,公費 (官庁の雑費など) の負担があり,この負担は次第に重くなった。里甲制は一条鞭法の実施により,その重要さを減じたが明末まで存在し,清代にも採用されたが,地丁銀制の成立とともにその機能を失い,行われなくなった。

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百科事典マイペディア 「里甲制」の意味・わかりやすい解説

里甲制【りこうせい】

中国,明〜清初間に施行された賦役法とそれに伴う地方村落の行政組織。賦役法の運営円滑化を目的とし,1381年賦役黄冊(租税台帳と戸籍簿の機能を兼ねたもの)の作成と同時に制定。賦役義務負担能力のある110戸で1里を構成。そのうち10戸を里長戸とし,残りの100戸を10戸ずつ10甲に分けた。甲に属する戸を甲首戸と呼ぶ。里長は1年交替で,10甲首を率いて里内の租税の徴収,賦役黄冊の作成,治安維持などに当たった。
→関連項目洪武帝

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「里甲制」の解説

里甲制(りこうせい)

明代から清初にかけて施行された地方村落の自治的な行政組織。明初の1381年(洪武14年)賦役黄冊(ふえきこうさつ)の作成と同時期に制定。10戸を1甲とする10甲と,別に里長戸10戸を合した計110戸で1里を編成する。編成は賦役義務負担の能力ある戸をもってし,有力な戸を里長戸として,1里長戸と1甲を1組とする10組をつくり,1年交替当番制で里内の徴税,治安,賦役黄冊の編纂などにあたった。これを里甲正役などという。なお治安,人民教化の責任者には別に里老人が置かれた。結局,里甲制は賦役の円滑化を図るための自治体制であった。

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旺文社世界史事典 三訂版 「里甲制」の解説

里甲制
りこうせい

明代より清初期まで続いた地方自治制度
賦役の義務をもつ民戸110戸を基準として里を編成し,そのうち富裕な10戸を里長戸とし,残りの100戸を10甲に分けて各甲ごとに甲首戸を設け,1里長と10甲首を毎年輪番とした。彼らの仕事は,『賦役黄冊』の作成,賦役の徴収賦課,治安維持,献上物の調達などで,農村統治の組織といえる。明の太祖洪武帝のとき,1381年に賦役黄冊と同時に制定されたが,16世紀後半の一条鞭法 (べんぽう) の実施によってしだいに重要さを減じ,清朝の康熙 (こうき) 帝の末期ごろ行われなくなった。

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世界大百科事典(旧版)内の里甲制の言及

【洪武帝】より

…とくに賦役黄冊は人民各戸の土地所有額,労働人口の変動などを記録したもので,以後10年ごとに改編され,明一代を通じて租税・力役課税の基本資料となった。これにもとづいて農民支配の末端組織として農村に編成されたのが里甲制である。土地所有農民110戸を基本単位(里)とし,この組織によって賦役黄冊を作らせ,租税の徴収,運搬や力役の徴発を行い,政治の浸透をはかった。…

【明】より

…官庁事務を実際に扱うのは,多数の胥吏(しより)であって,彼らは中央から任命される官僚とは,截然たる身分上の差があるが,下級の官僚にはその中から選抜された者が多かった。
[里甲制と税制]
 民政関係について述べるならば,まず人民は戸籍上,軍,民,匠,竈(そう)の4種に分けられているが,これは負担する徭役(ようえき)の違いによる分類である。すなわち,軍戸は兵役,民戸は一般行改の運営上必要な労働,匠戸は技術労働,竈戸は製塩労働を負担する者であった。…

※「里甲制」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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