都市同盟(中世)(読み)としどうめい(英語表記)Städtebund ドイツ語

日本大百科全書(ニッポニカ) 「都市同盟(中世)」の意味・わかりやすい解説

都市同盟(中世)
としどうめい
Städtebund ドイツ語

ヨーロッパ中世後期、神聖ローマ帝国の領域内で、多くの場合ある地域的まとまりをもつ一群の都市間に、同盟の形で組織された相互援助の機構。著名な都市同盟は、14世紀なかばのハンザ同盟筆頭に、ロンバルディア都市同盟(1167)、リエージュを中心とするフランドル都市同盟(1229)、ライン都市同盟(1254)、ウェテラウ都市同盟(1285)、チューリンゲン三都市同盟(1304)、上ラウジッツ都市同盟(1346)、エルザス10都市同盟(いわゆるデカポリス、1354)、シュワーベン都市同盟(1376)、第二次ライン都市同盟(1381、のちシュワーベン都市同盟と合体)などが数えられる。

[平城照介]

同盟結成の背景

都市同盟がとくに中世後期のドイツに生まれた背景は、一方では皇帝国王権力が弱体化し、封建的権力者間の戦争(フェーデ)の頻発に端的に認められるように、国内の治安が十分に守られなかったという事情と、他方ドイツ中世都市の自立性が、他の国に比べて高かったという事実である。このことは、都市同盟の結成に指導的役割を果たしたのが、都市のなかでも自立度の高い帝国都市であったことからも知られる。したがって都市同盟の構成員は大部分が帝国都市であったが、領邦都市が加盟した例もまれではなく、さらに15世紀のシュワーベン同盟のように、封建諸侯をも構成員に加えた場合さえある。

 都市同盟の主要目標は、皇帝=国王、領邦君主、帝国騎士層とりわけ盗賊騎士団の三つの外部勢力の圧迫から、加盟都市の自由と特権を守ることであるが、都市参事会に結集した大商人=都市貴族の寡頭制的支配に対する手工業者・下層市民の反抗(ツンフト闘争)の鎮圧に、都市同盟が機能した例もみられる。中世後期の皇帝たちは、財政窮乏を切り抜けるためしばしば帝国都市に臨時の租税を課し、また負債の担保として盛んに帝国都市そのものを「質入れ」したのであるが、帝国都市は同盟を結んで課税に抵抗し、新たな質入れを行わない約束を取り付けた。他方、一円的な領域支配圏の形成に努力していた領邦君主にとって、その権力に服さない帝国都市の存在は大きな障害であり、これを領邦都市化すべく、種々の圧迫を加えた。とくに領邦君主との間で利害が対立したのは、いわゆる「域外市民」の問題である。

 元来、中世都市の領域は、市壁の内部とそのごく周辺に限られたが、市民のなかに近隣の農村に土地を購入する者が現れ、また農村の土地所有者=小領主層で市民権を獲得する者も出現し、域外市民の制度が広がった。帝国都市は、これら域外市民の所領を含めて、市域を越えた小領域国家の形成への傾向を示し始めたので、これをめぐって領邦君主の利害と正面から対立せざるをえなかった。経済的没落がとくに著しく、なかば盗賊化しつつあった帝国騎士層は、商業路の各所で関税を徴収し、甚だしい場合は商品の略奪にまで及んだ。彼らもまた都市同盟や領邦君主に対抗するため、騎士同盟を結成したので、都市同盟と騎士同盟との間の、また都市同盟と領邦君主との間の利害の衝突は、しばしば戦争にまで発展した。

[平城照介]

同盟の機能と機構

都市同盟は、中世後期の帝国政治のうえでも重要な役割を果たした。その一つは、国内の平和維持の呼びかけで、皇帝によるラント平和令の公布が、都市同盟からの要請に触発された場合がしばしば認められる。ただエーガーのラント平和令(1389)をはじめ、多くのラント平和令は、都市同盟、騎士同盟等の個別的同盟の結成の禁止をうたっており、ラント平和令の実現が、領邦君主の利害に左右されたことを示している。第二は、皇帝選挙において果たした役割で、都市同盟は二重選挙の強行、対立皇帝の出現を極力防止しようと努めた。政治的機能と並んで、都市同盟が、商業路の安全の確保、通貨の統制、加盟都市相互間の商品移入に際し入市税を免除する互市協定など、都市本来の機能である商業的利益確保に重要な役割を果たしたことはいうまでもない。

 都市同盟はその機能を果たすため、ある種の機構を備えていた。おもなものは、同盟の意志決定機関である同盟会議と、同盟の利益を実力で守るための共通の軍隊である。軍隊は加盟都市の提供する市民軍のほか、拠出金による傭兵(ようへい)軍があった。12世紀から17世紀まで続いたハンザ同盟を除けば、都市同盟は一般に期限を限って結ばれた。もちろん同盟期間経過後更新されることもしばしばみられたが、多くの都市同盟は比較的短い期間ののち解消された。

[平城照介]

ハンザ同盟の特徴

都市同盟のうちもっとも有名なのは、14世紀中葉に結成されたハンザ同盟であるが、上述の都市同盟の性格と機能に徴すれば、これはきわめて特殊な存在である。元来ハンザ同盟は、都市同盟として発足したものではなく、ロンドンのハンザ、ノブゴロドのハンザなど、外地のハンザ商人の商権防衛組織として形成され、これが母都市間の同盟に拡大された段階においても、その主たる関心は、ハンザ商業圏における商業権益の維持・拡大という経済的側面に置かれ、他の都市同盟のように、政治的役割を果たすことはほとんどなかった。ハンザ同盟が長期間持続された理由の一つは、この点にも求められる。

[平城照介]

『高村象平著『西洋中世都市の研究』(1980・筑摩書房)』

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