遠軽(読み)えんがる

改訂新版 世界大百科事典 「遠軽」の意味・わかりやすい解説

遠軽[町] (えんがる)

北海道北東部,網走支庁紋別(もんべつ)郡の町。2005年10月生田原(いくたはら),旧遠軽,丸瀬布(まるせっぷ)の3町と白滝(しらたき)村が合体して成立した。人口2万2265(2010)。

遠軽町東部の旧町。網走支庁紋別郡所属。人口2787(2000)北見山地にあり,北流する生田原川とその支流の狭い河谷に沿ってJR石北本線が通じている。1892年旭川~網走間を結ぶ中央道路が生田原川沿いに開かれ,1901年の新潟県人の団体入植以後,本格的な開拓が進んだ。町域の大半は森林で,林産の町であるが,酪農テンサイ作付けなども行われる。大正~昭和の初めに生田原市街周辺でいくつかの金銀鉱山が操業した。

遠軽町北東部の旧町。網走支庁紋別郡所属。人口1万8503(2000)。町名は遠軽駅の裏手にそそり立つ瞰望岩のアイヌ語名インカルペ(常に見張る者)に発する。北見山地中央部の北縁部にあたり,湧別川とその支流の段丘が発達している。開拓は遅く,キリスト教主義の大学を設立しようとして1897年北海道同志教育会が農場へ入植したのが初めである。ハッカ栽培の好調と1916年湧別との間の鉄道(名寄本線,現在は廃線)が開通,25年石北本線が開通して分岐点となった。北見市と紋別市の中間にあって紋別郡東部の中心都市となっている。木材生産が多く,大正末以来水田の造成が進んだが,65年以降激減し,乳牛肉牛など畜産が重要となっている。
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遠軽町中部の旧町。網走支庁紋別郡所属。人口2149(2000)。地名はアイヌ語に由来する。オホーツク海に注ぐ湧別川中流に位置し,町域の大半が山林である。市街地は湧別川と支流の丸瀬布川,武利(むりい)川の合流点にあり,JR石北本線,国道333号線が通じる。1889年第一次植民地区画選定が行われたが,植民地区画選定が行われたが,本格的な開拓は1912年宮城県からの団体入植以後に始まった。林業と,豊富な林産資源を活用する木材・木製品工業を主とする。農業はテンサイなどの畑作と酪農が行われるが,平地が少なく小規模である。典型的な山村で,人口の減少も著しい。南端武利岳(1876m),丸瀬布川上流に十三の滝があり,武利川中流の神居(かむい)滝を望む高台には丸瀬布温泉(単純泉,28℃)がある。
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遠軽町南西部の旧村。網走支庁紋別郡所属。人口1405(2000)。北見山地のオホーツク海斜面に位置し,西にチトカニウシ山(1446m),南に支湧別岳(1688m)などがそびえる湧別川上流部を占める。石北本線,国道333号線が通じる。1891年旭川から網走に至る中央道路の開削が行われたが,白滝で農業開拓が始まったのは1908年以降であり,和歌山県人団体55戸が入植した12年以後に本格化した。村域の90%は森林で,その大部分が自然林を主とする国有林であり,主産業は林業であるが,81年の台風15号の被害もあって資源の枯渇化が見られる。麦類,テンサイ,ジャガイモの寒地畑作および乳牛の飼育も行われる。湧別川,支湧別川流域一帯に北海道の代表的な旧石器文化遺跡である白滝遺跡がある。また湧別川上流左股沢に流紋岩の球顆(きゆうか)が露出している。湧別川河畔に白滝温泉(単純泉,27℃)があり,高山植物群落と大雪山系の眺望にすぐれる平山(1771m)への登山基地ともなっている。
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