遠方村(読み)おちかたむら

日本歴史地名大系 「遠方村」の解説

遠方村
おちかたむら

[現在地名]粉河町遠方

紀ノ川の南岸に位置し、北は川を挟んで上田井こうだい村、東は新在家しんざいけ村・勝神かすかみ村に接する。村名について「続風土記」には「名義詳ならす、賀和村平野氏応永の旧記に近遠村あり、高野山文永七年の文書に荒川荘近遠村あり、即当村なるへし、村老の伝へに当村旧は安楽川出村なりといふ」とある。近世以前は「近遠」と称し、長寛二年(一一六四)七月日付の高野山検校以下在家田地支配状(又続宝簡集)に「禅義房在家 近遠友常 畠一反 公畠」とみえる。また建久四年(一一九三)二月日付の荒川庄盛景没官田畠支配帳(続宝簡集)に「近遠重宗作大」とみえ、寛喜二年(一二三〇)三月二五日付の一万法師田畠去文(同集)には「在荒河庄ノ内近遠村」とある。高野山領荒川あらかわ庄に含まれた地であった。また弘安二年(一二七九)二月一八日付の阿闍梨玄順田地去文(同集)に「荒川庄近遠村字大垣内楠田」の四至として「限北秋野河」とみえ、村内を西流する川を秋野あきの川と称していたことが知られる。

遠方村
おちかたむら

[現在地名]篠山市遠方

本郷ほんごう村の北東に位置し、土師はぜ川支流の友淵ともぶち川が流れる。正保郷帳に村名がみえ、田四八石余・畠一八石余。「丹波志」に草山くさやま庄として遠方とあり、高一〇一石余。天明三年(一七八三)の篠山領内高並家数人数里数記では草山組のうち遠方村として高一〇一石余、家数三六・人数一五三。「多紀郡明細記」では高一〇一石余、山役は米一石四斗で、毎年末までに茶役を上納していた。家別三七・人別一五七、冬から春にかけて余業に炭焼を行う者一六人で、地内の栗林で採れた栗は搗栗として京都で売った。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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