賑給(しんごう)(読み)しんごう

日本大百科全書(ニッポニカ) 「賑給(しんごう)」の意味・わかりやすい解説

賑給(しんごう)
しんごう

古代律令制(りつりょうせい)下において、天皇の即位、立太子、祥瑞(しょうずい)の出現などの国家の慶事、また飢饉(ききん)、疫病の流行などに際して、律令国家人民稲穀(とうこく)、布などを支給することをいう。支給は、高年者、鰥(かん)・寡(か)・孤(こ)(大宝(たいほう)令では惸(けい))・独(どく)のほか、貧窮者、病人僧侶(そうりょ)などを対象に行われた。天平(てんぴょう)年間(729~749)の各国正税(しょうぜい)帳や、739年(天平11)の「出雲(いずも)国大税賑給歴名帳」、773年(宝亀4)3月の太政官符(だいじょうかんぷ)案(左右京を対象)にその実施例がみられる。

 8世紀においては、国家の慶事に際しての賑給はもとより、飢饉・疫病の際の賑給にあっても、稲穀の支給量・対象者数で貧窮者・病人などより高年者・鰥寡惸独者のほうが重視されていることから、単なる貧窮民の救済策にとどまらず、天皇の恩恵や有徳を周知させるという儒教的イデオロギー政策としての役割を担ったものと考えられている。また、同一の賑給でも、諸国ごとにその対象や1人当りの支給量が異なり、各地域での実施過程に差がみられることから、運用にあたっては在地における郡司・里長などを通じて行われ、彼らの私的支配の槓杆(こうかん)としても機能したこともあったとされている。

 9世紀に入ると、全国的規模での実施は減少し、一般の飢・疫民が多くその支給対象とされ、財源もそれまでの田租内の動用穀から、不動穀、正税稲、糒(ほしいい)などのほかに、救急稲という新財源も設置されるが、これは、律令国家が、それまでの儒教的思想に基づく政策から、人民の再生産過程を現実的に掌握することへ重点を移したことを示したものと理解されている。しかし、この賑給も、律令制の衰退に伴い、毎年5月吉日に賑給使を定め京中の飢民に米・塩を支給する儀式や、近京の山中に住する老貧の僧侶に対する毎年6月の施米の儀式などに形をとどめるのみとなった。

[加藤友康]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

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