賀茂庄(読み)かものしよう

日本歴史地名大系 「賀茂庄」の解説

賀茂庄
かものしよう

現小浜市加茂かも比定される京都賀茂別雷かもわけいかずち(上賀茂神社)領。文永二年(一二六五)の若狭国惣田数帳写に「賀茂庄三十五町」とみえる。その後の経緯は不明だが、応永一九年(一四一二)一一月二二日付の明通寺寄進札に、当庄在住の藤三権守が明通みようつう寺に如法経米を寄進したとみえる。同様の明通寺寄進札は永享一〇年(一四三八)一〇月二三日付の六郎権守如法経米寄進札など若干数残っている。これらだけでは当庄の領有関係は明らかでないが、「親元日記別録」政所賦銘引付文明七年(一四七五)の記事に

<資料は省略されています>

とあって賀茂社領であることがわかり、賀茂社司森雅楽助が賀茂庄の年貢担保として、室町幕府料所の若狭国富田とみた郷公文片山正次から五〇貫文を借用している。

賀茂庄
かものしよう

現加茂町の木津きづ川南側の平野一帯を荘域とし、南に当尾とうのお庄、東に山田やまだ(庄)、西に大野おおの庄、木津川対岸に甕原みかのはら庄がある。東大寺・興福寺など諸所の所領があったらしい。「和名抄」記載の賀茂郷の地にできた荘園で、嘉保二年(一〇九五)三月一五日付の山城国賀茂荘別符立券案(東大寺文書)によれば

<資料は省略されています>

とあり、「山城国相楽郡賀茂郷」のうち「菟並里」「財津里」「尾田里」などの地五町一段がこの時東大寺領賀茂庄として立券されている。

天治二年(一一二五)三月二九日付の山城国賀茂庄住人等解(東大寺文書)によれば、東隣にあった右大臣(藤原家忠)家領山田牧と相論を起こしている(→山田牧

賀茂庄
かものしよう

建内記」正長元年(一四二八)一〇月一七日条に「建聖院領賀茂庄」とみえ、万里小路時房が当庄加地子等について室町幕府管領畠山満家に訴えている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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