諏訪直樹(読み)すわなおき

日本大百科全書(ニッポニカ) 「諏訪直樹」の意味・わかりやすい解説

諏訪直樹
すわなおき
(1954―1990)

画家。三重県四日市市生まれ。実家はカルバン主義カルビニズム)の改革派教会。生後まもなく幼児洗礼を受けるが、成人後信仰を捨てる。かつて画家を志したことがある牧師の父武臣(たけおみ)の影響を受け、幼いころより絵画に強い関心を示し9歳のころより地元在住の画家に師事、高校時代は美術部で活動するが、牧師になるか画家になるか真剣に思い悩む。1973年(昭和48)、東京芸術大学美術学部絵画科油画専攻を受験するが不合格、再受験のため上京してアルバイトのかたわら75年までフォルム洋画研究所に通うが、2年間の浪人生活を送るうち、受験のために絵画を描くことに興味を失う。現代美術に転じることを決意して、75年に現代美術ベイシックゼミナール(Bゼミスクール)に入学、美術家の柏原(かしはら)えつとむ(1941― )に師事した。

 77年、東京の白樺画廊で初個展、「絵画の豊かさ」展(横浜市民ギャラリー)で初めて大規模展に出品するなど、画家として本格的デビューを果たす。当初は黄金分割に基づいて画面を分割、彩色するなど、きわめてシステマティックな絵画を描いていた。システムへの関心は翌78年にスタートした『ヨハネ黙示録』に由来する「THE ALPHA AND THE OMEGA」の連作にも継続されるが、これと同時に日本美術の近代化にも強い興味をもち、勉強会(後に読画会と命名)を組織して理解を深めた。80年、日本美術への理解を屏風画の形式によって具体化した『波涛図』を発表、以後日本画風の絵画を描く現代美術家という特異な地位を確立し、精力的に制作を展開した。諏訪が急速に日本美術への傾斜を強め、『波涛図』を機に一気に作風の転換を図った要因は、日本画の構図の平面性などへの技術的関心と、吉本隆明(たかあき)などの著書を通じて高まった日本への思想的関心の両方にある。そこには読画会での研究成果や、信仰を捨てたとはいえ生まれたときから深く内面に刻まれてきたカルバン主義も影響を及ぼしている。

 1980年代以降も「非風景」「屏風絵」の連作など、「日本」と「西洋」の関係に対する関心に由来する制作活動を展開し、また82年からBゼミスクールで教鞭をとり後進の指導にあたった。90年(平成2)、カヌー川下りをしている最中に水難事故で不慮の死を遂げる。その評価は死後も変わることなく、日本画と現代美術の関係を問うときに真っ先に言及される画家の一人である。

[暮沢剛巳]

『『諏訪直樹作品集』(1994・美術出版社)』『北澤憲昭著『「日本画」の転位』(2003・ブリュッケ)』『「諏訪直樹」(カタログ。1992・西武アートフォーラム)』

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

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